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小川新 新論
小川新の瘀血(おけつ)論・腹証論・漢方東洋医学論/信仰と医療=無門居士東庵新の「言の葉」「書き付け」など備忘録・拾遺集=
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小川医院[漢方診療・針灸・ビワ葉温灸]
草津村西氏医系のあらまし
(『佐伯郡医療史』原稿)
「草津村西氏医系のあらまし」 昭和40年8月[1965] 小川新
西氏は佐伯郡草津村に歴代医業をもって住んでいたが、西氏は初め河面(こうも)といった。
現在判明している限りでは、河面六右衛門(寛文4年9月没1664年)の嫡子道伴の時代より西氏と改姓している。この西道伴(元禄2年4月没1689年)が、天和2年(1682年)西吉兵衛の養子西道庵によって授けられた西流外科の皆伝書があるところより見て、日本におけるオランダ外科の極く初期のにあたるが、爾来、2世道朴(1698年没)3世道朴(1728年没)4世伯泉(1715年没)までは、つまり医師として三次の浅野候に仕えた。
草津に来たのはいつの頃か定かでないが、5世道朴(3世道朴の甥、1763年没)は母が草津河面仁右衛門の妹となっていることから、一応三次に行った医系が草津に還り来て西氏を襲名したものらしい。
6世は西文司となっているが、この文司は10世河面平蔵の長子であり5世道朴の後を継いだ。平蔵の子11世河面茂左衛門の三男文良は広島藩医官高橋周悦の義子となって高橋文良と称したが、次男宗伯(天明5年卒)は井上氏の後を継いで井上宗伯(1785年没)と称し医を行ったとある。
7世道朴(1833年没)は文司の嫡子であるが、晩年長崎でシーボルトについて学んだ。7世道朴は医術に長けてたのみにならず、博学の精神に富、親に孝行を尽くしたというので、文政4年に藩主から表彰された。
8世道朴(1870年没)は幼名を文貞といい甫安と号した。8世道朴もまた、親に孝行であり、貧富の別なく親切に医療を行ったので慶応元年と明治3年と二回に亘り佐伯郡役所から表彰されている。
その長子有慶(有圭ともいう)は幼名朴二とい9世道朴となった。適々塾で緒方洪庵に学び草津にかえって医を行う。痘瘡治療に関わった。明治12年1月(1879年)に卒している。
その弟、道甫(小川清介)幼名謙吾は広島東引御堂町の藩医小川道仙の後を継いだが、版籍奉還後草津の西家かえり、有慶の死後、草津において仁術をもって世に知られた。清介(道甫)もまた兄有慶と同じく緒方洪庵の門人であった。
而して、9世道朴に子無く養子もまた医にちかずかず北海道に移ったが、草津における西氏の医系はここで絶えたことになる。
西吉兵衛・西道庵・西道伴
文化10年(1813年)井上宗伯によって書かれた「西家薬方伝来之系」には、西流外科の開祖西吉兵衛(卒寛文6年1666年)は草津の河面家に生まれ長崎西家の義子となり大通詞となって象胥(しょうしょ. 通訳,通事,通弁)之学および医薬に通じていたが、その嫡子玄甫は江戸において幕府医官となり、その義子西道庵は初め福山水野候に仕えたがその後長崎に帰り住んだとあるが、小川家に現存するオランダ外科の免許状は、西道庵から義父西吉兵衛より授けられたものを、西道庵の花押をして、道庵自身が西道伴(草津西氏医系1世)に授けたものとなっている。
これをもってみるに、草津河面家の出の初代西吉兵衛は、道伴の父である河面六右衛門と兄弟であったのではないかと思われる。
西氏と小川氏
清介翁が跡目相続した小川家の初代升運(1688年卒)は長崎奉行甲斐荘の与力として長崎にいた時オランダ医学を学び後に剃髪し江戸で医を開業していたが、寛文5年(1665年)浅野候に招かれ広島に帰った。
その嫡子2世升運は楢林新吾兵衛(楢林流元祖)の弟子となり、楢林流外科皆伝書など今に小川家に現存するなど、西家といい小川家といい、芸州広島において最も早くから西洋流外科をひらいたが、その両家の子孫が二百年を経て江戸末期に結ばれたことは奇しき因縁と申すべきでしょう。
【昭和四十年八月 広島市草津 小川新(医師)】
2019年7月10日 (水) | 固定リンク
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