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小川新 新論
小川新の瘀血(おけつ)論・腹証論・漢方東洋医学論/信仰と医療=無門居士東庵新の「言の葉」「書き付け」など備忘録・拾遺集=
復刊「古今腹証新覧」
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小川医院[漢方診療・針灸・ビワ葉温灸]
2007年3月
小川新の人となり
[広告]月刊誌「ナショナルジオグラフィック日本語版」
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小川新の人となり
小川新(略歴)
広島県生れ。大正9年生。平成17年9月死去。86才。広島高等学校卒。昭和20年岡山医科大学卒業。医学博士。岡山医科大学第二外科に勤務。その後、社会保険広島市民病院の外科部長として活躍。昭和38年に広島市にて、漢方薬治療と鍼灸治療を主とした大慈小川外科医院[現在の普照小川医院]を開設。日本漢方交流会会長、 広島漢方研究会会長、日本東洋医学会評議員・理事・名誉会員、昭和61年第37回日本東洋医学会学術総会会頭、日本瘀血学会代表、成都中医学院客員教授、上海中医学院客員教授
青年期までの新-Arata-は
小川新は大正9年7月、当時の広島県佐伯郡草津に生まれた。
草津は古くから栄えた漁師町であり、天然の良港である為中世は草津城を拠点とした軍港経済港であった。また江戸時代より蛎養殖盛んで大阪の牡蛎船で商いして経済的には恵まれていたが、宵越しに金は持たないと言う気風だった。
ある時、新が、
“あの頃近所にヤクザみたよぅな者が居ってのぅ、その“荒くれの無道もん”のお陰でワシは小さい頃から奴らに負けん精神ができたんじゃ。しかし極道もんも小川(家)にゃぁ一目置いとったよ”
と言ったことがあるが、確かに不条理に屈しない気構え、反骨の気構えのある男であった。なぜか世間の嫌われ者に好かれたりする男でもあった。
大正デモクラシーが徐々に自壊してゆく時代に青年期を迎えた新は、旧制広島高等学校時代、始めは文科に進むつもりでいたが、当時の日本に半ば失望して理科に転向した。新は日本のリーダーつまり政治家か官僚に成ろうとしたのではないかと・・・。この時代の政治家官僚にそして人々に失望していたのだ。
高等学校時代はヘーゲル、カント、ゲーテ、マルクスなどの思想書哲学書を読み漁り学業は疎かになり、ついには1年留年したほどだった。
次第に東洋思想哲学そして鈴木大拙・禅・ほとけの教えに傾倒してゆき座禅宗教書サマディーな日々を過ごすこととなっていった。
こんな新を心配していた父親(小川早苗)は、「一代途絶えていた医者に自分がなる」と聞いて大いに喜んだ。
思想書哲学書を読む傍ら、既に西洋医学に疑問を持っていて「赤本」などひも解き民間医術を一通り学んで岡山医科大学に進学した。 【赤本:“家庭における実際的看護の秘訣”/著:築田多吉/大正14年2月初版】
医師の道を歩み始めて
岡山医科大学では外科を専攻したが、なぜ外科かというと曰く、
“内科の医者は憶測でものを言ったり訳知り顔が多い、ワシはこの目と手で実際に確かめたいんじゃ。ゆくゆくは内科をやる積りがあったけえのぉ”
教授の選び方は、
“岡山医大の外科には教授が二人おって、ひとりの教授はワシの気性に合って良いかも知れん。が、気性の合わんもうひとり方を干されるのを覚悟で選らんだ。この教授は御公家さんのようで品の良い人じゃたが、若いうちにこんな人と付き合うのも勉強じゃと思うてのぉ。それに出世もできんで丁度ええけぇのぉ”
学び方は、
“ワシは先生から手術をあんまり教えて貰わんかったが、そんなもん人間のやる事じゃ、隅の方からでもその気になって見て学んだし、自分で色々な事を想定し工夫しながらシュミレーションして習得したよ”
“田舎のほうから手術の依頼があるんじゃが、教授助教授に頼むと費用が高こぅつくんでワシが請け負うんじゃ。行ってみたら医者も看護婦も手術の経験が殆どないし手術の設備お粗末じゃ。こういう中でやるんじゃけぇ真剣勝負じゃ、何とかして独りでやらにゃぁいけんけぇのぉ、ええ経験じゃった。
そのうち干されとる後輩たちが手術教えて下さい言うて付いてきた。現場で習わせたよ”“万年下っ端じゃったが、ある時教授に「僕は君に手術教えて来なかったが君は何処で手術を学んだのかね」と尋ねられた時はほんまに愉快じゃったよ”
このように新は自らをつくっていった。
日日新又日新 進徳工夫在日新
これは“新”と命名した由来の言葉です
- byささふね -
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2007年3月30日 (金) コラム | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
乳幼児のアトピー性皮膚炎(胎毒下しを中心に)
乳幼児のアトピー性皮膚炎(胎便と胎毒下し)
新生児に対し、なぜ胎毒下しが必要なのであろうか。それは伝承された英知として現代も世界各地で行われている。
しかしどういうものか、ヨーロッパ医学の進歩している国々では少なからず無視されている。日本もその一つである。産婆学の科学的な進歩は喜ばしいことである。しかしその反面英知を喪失していることに気付かないでいるのは、まことに嘆かわしい。
ある時、産科を主に産婦人科を開業している某県の日母の会長をしている友人に胎毒のことを尋ねると、「君、近代の産科はそのようなことは必要ないよ。近代設備が完全に備わっている○○市民病院を見てごらん。分娩時の新生児が飲み込んだ物は胃から完全に吸引することができるようになっているから大丈夫」と言う。
そこで私は次のように反論した。
「分娩時の汚物を吸い込んでいれば吸引も必要なことだが、私の言う胎毒は主として脱落した腸粘膜(古典では腸垢という)を言うのです。皮膚と同じよ うに腸粘膜は毎日新生し、脱落していることを考えて下さい。それは生理的に胎内でいつも行われているのです。君の話はどうも胎児の病態生理を知らないよう ですね」。しかし友人はそれでも納得してくれなかったのである。
現代のアトピー流行は、この胎毒下しを行わないことに大きな原因がある。胎毒の少ない子供は母乳を飲みながら自然に排泄するが、これだけではいけな い。一度胎毒下しを行っておかなければ、一二週間ないしは一二カ月ごろからアトピーが出ることが多い。そこで初めて治療に入るのだが、私はアトピー性皮膚炎とは呼ばずに「胎毒性皮膚炎」と呼んでいる。
その治療は、胎毒下しの方剤を加減したものを用いており、簡単である。しかしこの乳児の皮膚炎をステロイド使用による治療で誤魔化していれば、その 後二三十年というように長期にわたり疾病に悩むことになる。そして皮膚のみならず、あらゆる疾患を誘発する原因ともなる。胎毒には催お血性があり、幼少期 から一生にわたりいろいろな疾患を生む。乳幼児期の一番大切な時に体内毒物の排泄を怠っているためたいへんなことになるのである。
1. 胎毒下し生薬構成
胎毒下しは、初乳を飲ませる前に一二回飲ませれば理想的であるが、産院分娩の場合、ヘビールームと母親とが隔離されているので、多くの場合退院後に服用することになる。
胎毒下しの原方
大黄*g、黄連*g、甘草*g、紅花*g、連翹*g
(胎毒下しは上記分量を煎じ、ガーゼなどに浸して吸わせるとよい)
2. 年齢ごとのアーピー性皮膚炎処方
(注意事項は必ず参照のこと。症例2,3,7は胎毒下しを基本とする処方である)
※注意事項
1)胎毒下しは大黄が入っているため、便軟らかく回数の多い乳児には、大黄を去ること。
2)下痢気味の乳児では、五苓散を主としてそれに茵陳蒿、荊芥、連翹、紅花を加える。
3)大黄の入った胎毒下しでも茵チン蒿を少量加えるとよく治る。それは現代の新生児は黄疸気味であることが多いためである。在来の胎毒下しだけでは、アトピーの予防および治療が完全でないのはこの理由による。
4) 大黄の入った胎毒下しを、漫然と一二週間服用することは禁忌である。それは脱水症状を起こすためである。大便の出かたによって一二日の頓服的服用が重要で ある。特に生後一〜二週の間にアトピー予防として服用する場合は、一日だけでよい。下した後下痢が治まらない時は、五苓散エキスを服用する。
5)清熱作用を強める目的として、十薬、茵チン蒿を加えるとよい。
6)外用として、中黄膏、紫雲膏(当帰抜き)を適宜用いる。ステロイド離脱時の重症例には、甘草*gの煎じ液をガーゼ等で塗布する甘草湿布が有効である。
・1ヵ月
症例1:黄疸(光線療法、交換輸血後)。喘鳴。鼻閉。
処方 [茵チン蒿湯エキス%g半夏瀉心湯エキス%g]×7週投与のあと[1/6茵チン五苓散加連翹%g川芎%g甘草%g荊芥%g蒼朮%g紅花%g黄連%g]x5週
・2ヵ月
症例2:顔に湿潤性湿疹。便秘(3日に1回)
処方 [大黄*g紅花*g黄連*g連翹*g甘草*g]、1週投与のあと[*四苓湯加黄連*紅花*荊芥*甘草*連翹*]×1週
症例3:耳・顔に湿疹。黄疸。便(1~2日に1回)
処方 [大黄*紅花*黄連*連翹*甘草*茵チン蒿*]x3週
・4ヵ月
症例4:顔首肩に湿潤性湿疹。軟便。新生児黄疸。
処方 [茵チン五苓散加連翹*黄柏*甘草*荊芥*十薬*紅花*]×7週
・6ヵ月
症例5:眼周囲・肘・背中・胸に湿疹(軽度)
処方 [連翹*白朮*川芎*紅花*黄柏*黄連*山梔子*甘草*]×24週
症例6:顔・首に湿疹
処方 [連翹*蒼朮*川芎*紅花*山梔子*甘草*茵チン蒿*十薬*]×7週
・1歳
症例7:体に時々皮疹。便少し硬。陰嚢水腫。
処方 [大黄*紅花*黄蓮*連翹*甘草*]×3週
・1歳8カ月
症例8:そう痒感。かぜで喘息。便秘(2~3日に1回で硬い)
処方 [連翹*,荊芥*,紅花*,大黄*,川芎*,黄芩*,黄連*,黄柏*,白朮*,甘草*]x2週
・5歳
症例9:手足の湿疹。生後8ヵ月の頃、臀部を中心に湿疹。喘鳴。がい嗽
処方[1/3竜胆瀉肝湯(薜己 セツキ)加茵チン蒿*十薬*]×3週
症例10:背中から肩にかけ皮疹。そう痒感。
処方:[連翹*荊芥*甘草*十薬*茵チン蒿*紅花*桔梗*]x現在投与中
by小川新_2000年9月_[ 掲載「東洋医学」第28巻第9号 ]
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2007年3月26日 (月) 育児, 瘀血, 東洋医学 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
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