ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相

 


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9 Jan 2001 - 21 Apr 2017
ローマ字日記

明治42年4月7日~6月1日

 本郷区森川町一番地新坂
  三五九号蓋平館別荘にて
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ローマ字日記(明治42年・1909年)
妻を愛しているからこそ日記を読ませたくないのだ
ローマ字日記
夫婦関係という間違った制度があるために起こるのだ
明治42.4.7 ローマ字で書く理由
ツと、大きく島田を結った女の影法師が入り口の障子に鮮やかに映った明治42.4.8 肉感的な女
智恵子さん! なんといい名前だろう! あのしとやかな、
そして軽やかな、いかにも若い女らしい歩きぶり!
明治42.4.9 智恵子を想う
死だ! 死だ! 私の願いはこれ
たった一つだ! ああ!
明治42.4.10 自然主義を論ず 死 ゆれる心
予は孤独を喜ぶ人間だ。生まれながらにして個人主義の人間だ明治42.4.11金田一京助と花見へ 与謝野鉄幹宅にて歌会
予は予の欲するままに! そして、人に愛せられるな。
人の恵みを受けるな。人と約束するな。
明治42.4.12 友人関係について
ヨポヨポした平仮名の、仮名違いだらけな母の手紙!
明治42.4.13 母の手紙 新聞小説を
二人はその床の間の花瓶の桜の花を、部屋いっぱい
明治42.4.14 中島孤島、内山舜に会う
予はなぜ親や妻や子のために束縛されねばならぬか?
明治42.4.15 節子との恋 夫婦制度 生活に悩み歩く
みんなが死んでくれるか、予が死ぬか。二つに一つだ!
明治42.4.16 死にたい 小説が書けない 希望がない
「断然文学を止めよう。」と一人で言ってみた
明治42.4.17 自殺について書く 「断然文学を止めよう。」と
予は妹―哀れなる妹を思うの情に堪えぬ。会いたい! 
明治42.4.18 仲の悪かった妹光子のこと
吉原なら僕はやはり美しい女と寝たい。あそこには歴史的連想がある明治42.4.25 金田一京助と吉原へ
それよりもまず死のうか死ぬまいか?
明治42.4.26 「おえん」「たま」と遊ぶ
予がおえんという女と寝たのも事実だ
明治42.4.27 「おえん」のこと
若い女の肌はとろけるばかリ暖かい。
明治42.5.1 千束町で遊ぶ
都会というものに幻惑されて何も知らずに飛び込んで来た
明治42.5.2 渋民の助役の息子と清水君
左の乳の下を切ろうと思ったが、痛くて切れぬ
明治42.5.8 小説が書けない 絶望 死
宮崎君から送ってきた十五円で本郷弓町二丁目十八番地の新井という床屋の二階二間を借り、
明治42.6 床屋の二階に移るの記
戦後、ローマ字日記が見直された
「家」の観念からの脱出を求めた
 啄木の自然主義を代表する作品としてはむしろ小説よりも彼のローマ字日記をあげたい。

 啄木のローマ字日記は上京後、自然主義の基本的衝動としての個人主義的な人間解放・自我の解放をどこまでもつらぬきとおして行こうとした彼の生活が赤裸々に描写されており、「家」の観念の脱出を家庭生活の虚無的な否認と、享楽的な蹂躙とに求めた七十五日間の、荒惨な生活のなまなましい告白が綴られ、啄木の小説にはうかがうことのでぎない鮮烈な印象と感銘を受ける。そしてそれは仮の自由を求めようとした心と冷徹な自意識との二つの対立矛盾の中に、ローマ字という特別の表記法によって、従来の文学者のなし得なかった一つの自由世界を作りあげている。

 さらにこの「家」の脱出を享楽的な蹂躙に求め、「からだもこころも とろけるよおな たのしみ」を求めて、妻子に送るべき前借の金で夜の浅草千束町を彷徨する、せっぱつまった生活の全貌が克明に描かれている。しかしこの啄木の「家」の観念よりの脱出は、「家」の問題の解決ではなく、むしろ家庭生活の破壊・蹂躙であったから、やがて彼自身の身に、大きな痛手となってはねかえって来たのである。(岩城之徳「石川啄木」から)
明治42.4.7 ローマ字で書く理由
夫婦関係という間違った制度があるために起こるのだ
四月七日 水曜日
 晴れた空にすさまじい音をたてて、激しい西風が吹き荒れた。三階の窓という窓は絶え間もなくガタガタ鳴る。その透き問からは、はるか下から立ち昇った砂ぼこりがサラサラと吹き込む。そのくせ空に散らばった白い雲はちっとも動かぬ。午後になって風はようよう落ちついた。
 春らしい日影が窓の磨りガラスを暖かに染めて、風さえなくぱ汗でも流れそうな日であった。いつも来る貸本屋のおやじ、手のひらで鼻をこすりあげながら、「ひどく吹きますなあ、」と言って入ってきた。「ですが今日中にゃ東京中の桜が残らず咲きますぜ、風があったって、あなた、この天気でございますもの。」
「とうとう春になっちゃったねえ!」と予は言った。無論この感慨はおやじに分かりっこはない。「エー!エー!」とおやじは答えた。「春はあなた、私どもには禁物でございますね、貸本は、もう、からだめでがす。本なんか読むよリやまだ遊んで歩いた方がようがすから、無理もないんですが、読んで下さる方も自然どこう長くぱかりなりますんでね。」
 咋日社から前借した金の残り、五円紙幣が一枚財布の中にある、午前中はそれぱっかり気になって、仕様がなかった。この気持ちは、平生金のある人が急に持たなくなった時と同じような気がかりかもしれぬ。どちらもおかしいことだ、同じようにおかしいには違いないが、その幸不幸には大した違いがある。
 仕様ことなしに、ローマ字の表などを作ってみた。表の中から、時々、津軽の海の彼方にいる母や妻のことが浮かんで子の心をかすめた。「春が来た、四月になった。春!春!花も咲く!東京へ来てもう一年だ!……が、予はまだ予の家族を呼びよせて養う準備ができぬ!」近頃、日に何回となく、子の心の中をあちらへ行き、こちらへ行きしてる、問題はこれだ……
 そんならなぜこの日記をローマ字で書くことにしたか?なぜだ?子は妻を愛してる。愛してるからこそこの日記を読ませたくないのだ、―しかしこれはうそだ!愛してるのも事実、読ませたくないのも事実だが、この二つは必ずしも関係していない。
 そんなら子は弱者か?否、つまりこれば夫婦関係という間違った制度があるために起こるのだ。夫婦!なんという馬鹿な制度だろう!そんならどうすればよいか?
 悲しいことだ!
 札幌の橘智恵子さんから、病気がなおって先月二十六日に退院したという葉書がきた。
 今日はとなりの部屋へ来ている京都大学のテニスの選手等の最後の決戦日だ。みんな勇ましく出ていった。
 昼食を食っていつものごとく電車で社に出た。出て、広い編集局の片隅でおじいさんたちと一緒に校正をやって、夕方五時半頃、第一版が校了になると帰る。これが予の生活のための日課だ。
 今日、おじいさんたちは心中の話をした。何という鋭いアイロニイだろう!
また、足が冷えて困る話をして、「石川君は、年寄りどもが何を言うやらと思うでしようね、」と、卑しい、助平らしい顔の木村じいさんが言った。「ハ、ハ、ハ、…、」と予は笑った。これも又立派なアイロニイだ!
 帰りに、少し買いものをするため、本郷の通りを歩いた。大学樽内の桜は今日一日に半分ほど開いてしまった。世の中はもうすっかリ春だ。行き来の人の群がった巷の足音は何とはなく心を浮き立たせる。どこから急に出て来たかと怪しまれるぱかり、美しい着物を着た美しい人がゾロゾロと行く。春だ!そう予は思った。そして、妻のこと、可愛い京子のことを思いうかべた。四月までにきっと呼び寄せる、そう予は言っていた。そして呼ばなかった、否、呼びかねた。おお、予の文学は予の敵だ、そして予の哲学は予のみずからあざける論理に過ぎぬ!予の欲するものは沢山あるようだ。しかし実際はほんの少しではあるまいか?金だ!
 隣室の選手どもはとうとう東京方に負けたらしい。八時頃、金田一君と共に通りに新しく建った活動写真を見に行った。説明をする男はいずれもまずい。
そのうちに一人、下戸米という中学時代の知人に似た男があって、聞くに堪えないような酒落を言っては観客を笑わしているのがあった。予はその男を見ながら、中学一年の時机を並べたことのある、そしてその後予らの知らぬ社会の底をくぐって歩いたらしい宮永佐吉君のことを思い出していた。宮永がある活動写真の説明士になったというような噂を聞いていたので。
 十時過ぎ、帰って来ると、隣室は大騒ぎだ。慰労会に行って酔っぱらってきた選手の一人が、電灯をたたきこわし、障子の桟を折ってあぱれている。その連中の一人なる坂牛君に部屋の入り口で会った。これは予と高等小学校の時の同級生で、今は京都大学の理工科の生徒。八年も会わなかった旧友だ。金田一君と三人予の部屋へ入って一時頃までも子供らしい話をして、キャ、キャ、と騒いだ。そのうちに隣室の騒ぎは静まった。春の夜―一日の天気に満都の花の開いた日の夜は更けた。
 寝静まった都の中に一人目覚めて、おだやかな春の夜の息を数えていると、三畳半の狭い部屋の中の予の生活は、いかにもあじきなく、つまらなく感ぜられる。この狭い部屋の中に、何ともしれぬ疲れにただ一人眠っている姿はどんなであろう。人間の最後の発見は、人間それ自身がちっともえらくなかったということだ!
 予は、このけだるい不安と強いて興味を求めようとする浅はかな望みを抱いて、この狭い部屋にずいぶん長いこと―二百日あまりも過ごしてきた。いつになれぱ……否!枕の上で,ツルゲーネフ短篇集―を読む。
明治42.4.8 肉感的な女
ツと、大きく島田を結った女の影法師が入り口の障子に鮮やかに映った
四月八日 木曜日
 だぶん隣室の忙しさにまぎれて忘れたのであろう。(忘られるというのがすでに侮辱だ。今の予の境遇ではその侮辱が、また、当然なのだ。そう思って予はいかなることにも笑っている。)起きて、顔を洗ってきてから、二時間たっても朝飯の膳を持ってこなかった。
 子は考えた。予は今までこんな場合には、いつでも黙って笑っていた。ついぞ怒ったことはない。しかしこれは、予の性質が寛容なためか?おそらくそうではあるまい。仮面だ、しからずぱ、もっと残酷な考えからだ。予は考えた、そして手〔を〕を打って女中を呼んだ。
 空はおだやかに晴れた。花時の巷は何となく浮き立っている。風が時々砂を捲いてそぞろ行く人々の花見衣をひるがえした。
 社の帰り、工学士の日野沢君と電車で一緒になった。チャキチャキのハイカラッ児だ。その仕立ておろしの洋服姿と、袖口の切れた綿入れを着た予と並んで腰をかけた時は、即ち予の口から何か皮肉な言葉の出ねぱならぬ好機であった。「どうです、花見に行きましたか?」「いいえ、花見なんかする暇がないんです。」「そうですか、それは結構ですね。」と子は言った。子の言ったことはすこぷる平凡なことだ。誰でも言うことだ。そうだ、その平凡なことをこの平凡な人に言ったのが、予は立派なアイロニイのつもりなのだ。無論日野沢君にこの意味のわかる気遣いはない。一向平気なものだ。そこが面白いのだ。
 予らと向かい合って、二人のおばあさんが腰かけていた。「僕は東京のおばあさんは嫌いですね。」と予は言った。「なぜです?」「見ると感じが悪いんです。どうも気持ちが悪い。田舎のおばあさんのようにおぱあさんらしいところがない。」その時一人のおばあさんは黒眼鏡の中から予を睨んでいた。あたりの人たちも予の方を注意している。予は何となき愉快を覚えた。
「そうですか、」と日野沢君はなるべく小さい声で言った。
「もっとも同じ女でも、若いのなら東京に限ります。おぱあさんときちゃみんな小憎らしい面をしてますからねえ。」
「ハ、ハ、ハ、ハ。」
「僕は活動写真が好きですよ。君は?」
「まだわざわざ見に行ったことはありません。」
「面白いもんですよ。行ってごらんなさい。何でしょう、こう、パーツと明るくなったり、パーツと暗くなったりするんでしょう?それが面白いんです。」
「眼が悪くなりますね、」と言うこの友人の顔には、きまり悪い当惑の色が明らかに読まれた。予はかすかな勝利を感ぜずにはいられなかった。
「ハ、ハ、ハ!」と、今度は予が笑った。
 着物の裂けたのを縫おうと思って、夜八時頃、針と糸を買いに一人出かけた。
本郷の通りは春の賑わいを見せていた。いつもの夜店のほかに、植木屋が沢山でていた。人はいずれも楽しそうに肩と肩をすって歩いていた。予は針と糸を買わずに、「やめろ、やめろ」という心の叫びを聞きながら、とうとう財布をだしてこの帳面と足袋とサルマタと巻紙と、それから三色菫の鉢を二つと、五銭ずつで買ってきた。予はなぜ必要なものを買う時にまで「やめろ」という心の声を聞かねばならぬか?「一文なしになるぞ。」と、その声が言う。「函館では困ってるぞ。」と、その声が言う!
 菫の鉢の一つを持って金田一君の部屋に行った。「咋日あなたの部屋に行った時、言おう言おうと思ってとうとう言いかねたことがあリました、」と友は言った。面白い話がかくして始まったのだ。
「何です?……さあ、一向分からない!」
 友は幾たぴかためらった後、ようよう言いだした。それはこうだ―
 京都の大学生が十何人、この下宿に来て、七番と八番、即ち予と金田一君との間の部屋に泊まったのは、今月のついたちのことだ。女中はみな大騒ぎしてその方の用にばかり気をとられていた。中にもおきよ―五人のうちでは一番美人のおきよは、ちょうど三階持ちの番だったものだから、ほとんど朝から晩―夜中までもこの若い、元気のある学生ともの中にばかりいた。みんなは「おきよさん、おきよさん」と言って騒いだ。中にはずいぷんいかがわしい言葉や、くすぐるような気配なども聞こえた。予はしかし、女中ともの挙動にチラチラみえる虐待には慣れっこになっているので、従って彼らのことには多少無関心な態度をとれるようになっていたから、それに対して格別不愉快にも感じていなかった。しかし、金田一君は、その隣室の物音の聞こえるたぴ、言うに言われぬ嫉妬の情にかられたという。
 嫉妬!何という微妙な言葉だろう! 友はそれを押さえかねて、果ては自分自身を浅ましい嫉妬ぶかい男と思い、ついたちから四日までの休みを全く不愉快に送ったという。そして五日の日に三省堂へ出て、ポーツと安心して息をつき、小詩人君(その編集局にいる哀れな男)の言い草ではないが、家にいるよりここの方がいくら気がのんぴリしてるだろうと思った。それからようやく少し平生の気持ちになり得たとのことだ。
 おきよというのは二月の末に来た女だ。肉感的に太って、血色がよく、眉が濃く、やや角張った顔にふといきかん気があらわれている。年は二十だという。
何でも、最初来た時金田一君にだいぷ接近しようとしたらしい。それをおつね―これも面白い女だ。―がむきになって妨げたらしい。そして、おきよは
急にわが友に対する態度を改めたらしい。これは友の言うところでほぼ察することができる。友はその後、おきよに対して、ちょうど自分の家へ飛んで入った小烏に逃げられたような気持ちで、絶えず眼をつけていたらしい。おきよの生まれながらの挑発的な、そのくせどこか人を圧するような態度は、また、女珍しい友の心をそれとなく支配していたとみえる。そして金田一君―今まで女中に祝儀をやらなかった金田一君は、先月の晦日におきよ一人にだけなにがしかの金を呉れた。おきよはそれを下へ行ってみんなに話したらしい。あくる日からおつねの態度は一変したという。まことに馬鹿な、そして哀れむべき話だ。そしてこれこそ真に面白味のあることだ。そこへもってきて大学生がやって来たのだ。
おきよは強い女だ!と二人は話した。五人のうち、一番働くのはこのオキコだ。その代わりふだんには、夜十時にさえなれぱ、人にかまわず一人寝てしまうそうだ。働きぷりには誰一人及ぷ者がない。従っておきよはいつしかみんなを圧している。ずいぷんきかん気の、めったに泣くことなどのない女らしい。その性格は強者の性格だ。
 一方、金田一君が嫉妬ぶかい、弱い人のことはまた争われない。人の性格に二面あるのは疑うべからざる事実だ。友は一面にまことにおとなしい、人の好い、やさしい、思いやりの深い男だと共に、一面、嫉妬ぶかい、弱い、小さなうぬぼれのある、めめしい男だ。それは、まあ、どうでもよい。その学生ともは今日みんな発ってしまって、たった二人残った。その二人は七番と八番へ、今夜、一人ずつ寝た。
 子は遅くまで起きていた。
 ちょうど一時二十分頃だ。一心になってペンを動かしていると、ふと、部屋の外に忍び足の音と、せわしい息遣いとを聞いた。はて! そう思って子は息をひそめて聞き耳をたてた。
 外の息遣いは、シンとした夜更けの空気に嵐のように激しく聞こえた。しばらくは歩く気配がない。部屋部屋の様子をうかがっているらしい。
 予はしかし、初めからこれを盗人などとは思わなかった。…! 確かにそうだ!
 ツと、大きく島田を結った女の影法師が入り口の障子に鮮やかに映った。おきよだ!
 強い女も人に忍んで梯子を上がってきたので、その息遣いの激しさに、いかに心臓が強く波打ってるかが分かる。影法師は廊下の電灯のために映るのだ。
 隣室の入り口の廻し戸が静かにあいた。女は中に入って行った。
「ウーウ。」とかすかな声!寝ている男を起こしたものらしい。
 間もなく女は、いったん閉めた戸を、また少し細目にあげて、予の部屋の様子をうかがってるらしかった。そしてそのまま又中へ行った。「ウーウー
ウ。」とまた聞こえる。かすかな話し声! 女はまた入り口まで出て来て戸を閉めて、二三歩歩く気配がしたと思うと、それっきり何の音もしなくなった。
 遠くの部屋で「カン」と一時半の時計の音。
 かすかに鶏の声。
 予は息がつまるように感じた。隣室では無論もう予も寝たものと思ってるに違いない。もし起きてる気配をさしたら、二人はどんなにか困るだろう。こいつあ困った。そこで予はなるたけ音のしないように、まず羽織を脱ぎ、足袋を脱ぎ、そろそろ立ち上がってみたが、床の中に入るにはだいぷ困難した。とにかく十分ばかりもかかって、やっと音なく寝ることができた。それでもまだ何となく息がつまるようだ。実にとんだ目に会ったものだ。
 隣室からは、遠い所に獅子でもいるように、そのせわしい、あたたかい、不規則な呼吸がかすかに聞こえる。身も心もとろける楽しみの真っ最中だ。
 その音―不思議な音を聞きながら、なぜか予はさっぱり心を動かさなかった。子は初めかちいい小説の材料でも見つけたような気がしていた。「一体なんという男だろう?きっとおきよを手に入れたいぱっかりに、わざわざ居残ったものだろう。それにしても、おきよの奴、ずいぶん大胆な女だ。」こんなことを考えた。「明日早遠金田一君に知らせようか? いや、知らせるのは残酷だ…いや、知らせる方が面白い・・・」二時の時計が鳴った。
 間もなく、予は眠ってしまった。
明治42.4.9 智恵子を想う
智恵子さん! なんといい名前だろう! あのしとやかな、
そして軽やかな、いかにも若い女らしい歩きぶり!
四月九日 金曜日
 桜は九分の咲き。暖かな、おだやかな、全く春らしい日で、空は遠く花曇りにかすんだ。
 おととい来た時は何とも思わなかった智恵子さんの葉書を見ていると、なぜかたまらないほど恋しくなってきた。「人の妻にならぬ前に、たった一度でいいから会いたい!」そう思った。
 智恵子さん! なんといい名前だろう! あのしとやかな、そして軽やかな、いかにも若い女らしい歩きぶり! さわやかな声! 二人の語をしたのはたった二度だ。一度は大竹校長の家で、予が解職願いを持って行った時、一度は谷地頭の、あのエピ色の窓かけのかかった窓のある部屋で―そうだ、予が「あこがれ」を持って行った時だ。どちらも函館でのことだ。
 ああ! 別れてからもう二十ヵ月になる!
 昨夜のことを金田一君に話してしまった。無論そのために友の心に起こった低気圧は一日や二日で消えまい。今日一日何だか元気がなかった。といって、友は別におきよに恋してるわけでは無論ない。が、予のようにこのことを面白がりはしなかったのは事実だ。男は若園という奴なことはすぐ知れた。彼は夜九時頃になって発って行った。おきよとの別れの言葉は金田一君と共にこの部屋にいて聞いた。その模様では、何でも渡辺という姓の男との張り合いから、一人残っておきよを手に入れる決心をしたものらしい。男の発った後、女はすぐ鼻唄を歌いながらたち働いていた。
 社では今日第一版が早くすんで、五時頃に帰って来た。夜、出たくてたまらぬのを無理におさえてみた。
 帰りの電車の中で、去年の春別れたままに合わぬ京子によく似た子供を見た。ゴムダマの笛を「ピーイ」と鳴らしては予の方を見て、恥ずかしげに笑って顔を隠しかくしした。予は抱いてやりたいほど可愛く思った。
 その子の母な人は、また、その顔の形が、予の老いたる母の若かった頃はたぷんこんなだったろうと思われるほど鼻、頼、眼……顔一体が似ていた。そして、あまり上品な顔ではなかった。
 乳のように甘い春の夜だ! 釧路の小奴―坪仁子からなつかしい手紙がきた。
 遠くで蛙の声がする。ああ、初蛙! 蛙の声で思い出すのは、五年前の尾崎先生の品川の家の庭、それから、今は九戸の海岸にいる堀田秀子さん!
 枕の上で今月の「中央公論」の小説を読む。
明治42.4.10 自然主義を論ず 死 ゆれる心
死だ! 死だ! 私の願いはこれ
たった一つだ! ああ!
四月十日 土曜日
 昨夜は三時過ぎまで床の中で読書したので、今日は十時過ぎに起きた。晴れた空を南風が吹きまわっている。
 近頃の短篇小説が一種の新しい写生文に過ぎぬようなものとなってしまったのは、否、我々が読んでもそうとしか思わなくなってきた―つまり不満足に思うのは、人生観としての自然主義哲学の権威がだんだんなくなってきたことを示すものだ。
 時代の推し移りだ! 自然主義は初めわれらの最も熱心に求めた哲学であったことは争われない。が、いつしか我らはその理論上の矛盾を見出した。そしてその矛盾を突っ越して我らの進んだ時、我らの手にある剣は自然主義の剣ではなくなっていた。―少なくも予一人は、もはや傍観的態度なるものに満足することができなくなってきた。作家の人生に対する態度は、傍観ではいけぬ。作家は批評家でなければならぬ。でなければ、人生の改革者でなければならぬ。
 予の到達した積極的自然主義は即ちまた新理想主義である。理想という言葉を我らは長い間侮辱してきた。実際またかつて我らの抱いていたような理想は、我らの発見したごとく、哀れな空想に過ぎなかった。「ライフ一イリュージョン」に過ぎなかった。しかし、我らは生きている。また、生きわぱならぬ。あらゆるものを破壊しつくして新たに我らの手ずから樹てた、この理想は、もはや哀れな空想ではない。理想そのものはやはり「ライフ・イリュージョン」だとしても、それなしには生きられぬのだ!この深い内部の要求までも捨てるとすれぱ、予には死ぬよりほかの道がない。

 今朝書いておいたことは嘘だ、少なくとも予にとっての第一義ではない。いかなることにしろ、予は、入間の事業というものはえらいものと思わぬ。ほかのことより文学をえらい、尊いと思っていたのはまだえらいとはどんな事か知らぬ時のことであった。人間のすることで何一つえらいことがあり得るものか。人間そのものがすでにえらくも尊くもないのだ。
 予はただ安心をしたいのだ!―こう、今夜初めて気がついた。そうだ、全くそうだ。それに違いない!
 ああ! 安心―何の不安もないという心持ちは、どんな味のするものだったろう! 長いこと―物心ついて以来、予〔は〕それを忘れてきた。
 近頃、予の心の最ものんきなのは、社の往復の電車の中はかりだ。家にいると、ただ、もう、何のことはなく、何かしなければならぬような気がする。「何か」とは困ったものだ。読むことか? 書くことか? どちらでもないらしい。否、読むことも書くことも、その「何か」のうちの一部分にしか過ぎぬようだ。読む、書く、というほかに何の私のすることがあるか? それは分からぬ。が、とにかく何かをしなければならぬような気がして、どんなのんきなことを考えている時でも、しょっちゅう後ろから「何か」に追っかけられているような気持ちだ。それでいて、何にも手につかぬ。
 社にいると、早く時間が経てばよいと思っている。それが、別に仕事がいやなのでもなく、あたりのことが不愉快なためでもない。早く帰って「何か」しなければならぬような気に追ったてられているのだ。何をすればよいのか分からぬが、とにかく何かしなけれぱならぬという気に、後ろから追ったてられているのだ。
 風物の移り変わりが鋭く感じられる。花を見ると、「あ―花が咲いた」ということ―その単純なことが、矢のように鋭く感じられる。それがまたみるみる開いてゆくようで、見てるうちに散る時が来そうに思われる。何を見ても、何
を聞いても、予の心はまるで急流にのぞんでいるようで、ちっとも静かでない、落ちついていない。後ろから押されるのか、前から引っ張られるのか、何にしろ予の心は静かに立っていられない、駆け出さねばならぬような気持ちだ。
 そんなら子の求めているものは何だろう? 名?でもない。事業? でもない。恋?でもない。知識?でもない。そんなら金?会もそうだ。しかしそれは目的ではなくて手段だ。予の心の底から求めているものは安心だ、きっとそうだ!
 つまり疲れたのだろう!
 去年の暮れから予の心に起こった一種の革命は、非常な勢いで進行した。予はこの百日の間を、これという敵は眼の前にいなかったにかかわらず、常に武装して過ごした。誰彼の区別なく、人はみな敵にみえた。予は、一番親しい人から順々に、知ってる限りの人を残らず殺してしまいたく思ったこともあった。親しければ親しいだけ、その人が憎かった。「すべて新しく、」それが予の一日一日を支配した「新しい」希望であった。予の「新しい世界」は、即ち、「強者―,強さもの―の世界」であった。
 哲学としての自然主義は、その時「消極的」の本丸を捨てて、「積極的」の広い野原へ突貫した。彼―「強きもの」は、あらゆる束縛と因襲の古い鎧を脱ぎ捨てて、赤裸々で、人の力を借りることなく、勇敢に戦わねばならなかった。鉄のごとき心をもって、泣かず、笑わず、何の顧慮するところなく、ただましぐらに、おのれの欲するところに進まねぱならなかった。人間の美徳といわるるあらゆるものを塵のごとく捨てて、そして、人間のなし得ない事を平気でなさねぱならなかった。何のために? それは彼にも分からない。否、彼自身が彼の目的で、そしてまた人間全体の目的であった。
 武装した百日は、ただ武者ぶるいをしてる間に過ぎた。予は誰に勝ったか? 予はどれだけ強くなったか? ああ!
 つまり疲れたのだ。戦わずして疲れたのだ。
世の中を渡る道が二つある、ただ二つある。「オールオアナッシング!」一つはすべてに対して戦うことだ。これは勝つ、しからずんば死ぬ。も一つは何ものに対しても戦わぬことだ。これは勝たぬ、しかし負けることがない。負けることのないものには安心がある。常に勝つものには元気がある。そしてどちらも物に恐れるということがない……そう考えても心はちっとも晴れぱれしくも元気よくもならぬ。予は悲しい。予の性格は不幸な性格だ。予は弱者だ、誰のにも劣らぬ立派な刀を持った弱者だ。戦わずにはおられぬ、しかし勝つことはできぬ。しからば死ぬほかに道はない。しかし死ぬのはいやだ。死にたくない!しからぱどうして生きる?
 何も知らずに農夫のように生きたい。予はあまり賢すぎた。発狂する人がうらやましい。予はあまりに身も心も健康だ。ああ、ああ、何もかも、すべてを忘れてしまいたい!どうして?
 人のいない所へ行きたいという希望が、この頃、時々予の心をそそのかす。人のいない所、少なくとも、人の声の聞こえず、否、子に少しでも関係のあるようなことの聞こえず、誰も来て子を見る気遣いのない所に、一週間なり十日なり、否、一日でも半日でもいい、たった一人ころがっていてみたい。どんな顔をしていようと、どんななりをしていようと、人に見られる気遣いのない所からだ
に、自分の身体を自分の思うままに休めてみたい。
 予はこの考えを忘れんがために、時々人の沢山いる所―活動写真へ行く。また、その反対に、何となく人―若い女のなつかしくなった時も行く。しかしそこにも満足は見出されない。写真―ごとにも最も馬鹿げた子供らしい写真を見ている時だけは、なるほど強いて子供の心に返って、すべてを忘れることもできる。が、いったん写真がやんで「パーツ」と明るくなり、数しれぬウヨウヨした人がみえだすと、もっとにぎやかな、もっと面白い所を求める心が一層強く子の胸に湧き上がってくる。時としては、すぐ鼻の先に強い髪の香を嗅ぐ時もあり、暖かい手を握っている時もある。しかしその時は子の心が財布の中の勘定をしている時だ。否、いかにして誰から金を借りようかと考えている時だ。暖かい手を握り、強い髪の香を嗅ぐと、ただ手を握るばかりでなく、柔らかな、暖かな、真っ白な身体を抱きたくなる。それを遂げずに帰って来る時の寂しい心持ち! ただに性欲の満足を得られなかったぱかりの淋しさではない。自分の欲するものはすべて得ることができぬという深い、恐ろしい失望だ。
 いくらかの金のある時、予は何のためろうことなく、かの、みだらな声に満ちた、狭い、きたない町に行った。予は去年の秋から今までに、およそ十三―四回も行った。そして十人ばかりの淫売婦を買った。ミツ、マサ、キヨ、ミネ、ツユ、ハナ、アキ…名を忘れたのもある。予の求めたのは暖かい、柔らかい、真っ白な身体だ。身体も心もとろけるような楽しみだ。しかしそれらの女は、やや年のいったのも、まだ十六ぐらいのほんの子供なのも、どれだって何百人、何千人の男と寝たのぱかりだ。顔につやがなく、肌は冷たく荒れて、男というものには慣れきっている、なんの刺激も感じない。わずかの金をとってその陰部をちょっと男に貸すだけだ。それ以外に何の意味もない。帯を解くでもなく、「サア、」と言って、そのまま寝る。なんの恥ずかしげもなく股をひろげる。隣の部屋に人がいようといまいと少しもかもうところがない。(ここが、しかし、面白い彼らのアイロニイだ!)何千人にかきまわされたその陰部には、もう筋肉の収縮作用がなくなっている、緩んでいる。ここにはただ排泄作用の行われるばかりだ。身体も心もとろけるような楽しみは薬にしたくもない!
 強き刺激を求むるイライラした心は、その刺激を受けつつある時でも予の心を去らなかった。予は三たびか四たび泊まったことがある。十八のマサの肌は貧乏な年増女のそれかとばかり荒れてガサガサしていた。たった一坪の狭い部屋の中に灯りもなく、異様な肉の臭いがムウッとするほどこもっていた。女は間もなく眠った。予の心はたまらなくイライラして、どうしても眠れない。予は女の股に手を入れて、手荒くその陰部をかきまわした。しまいには五本の指を入れでできるだけ強く押した。女はそれでも眼を覚まさぬ。おそらくもう陰部については何の感覚もないくらい、男に慣れてしまっているのだ。何千人の男と寝た女!予はますますイライラしてきた。そして一層強く手を入れた。ついに手は手くぴまで入った。「ウーウ、」と言って女はその時眼を覚ました。そしていきなり子に抱きついた。「アーアーア、うれしい!もっと、もっと―もっと、アーアーア!」十八にしてすでに普通の刺激ではなんの面白味も感じなくなっている女! 予はその手を女の顔にぬたくってやった。そして、両手なり、足をりを入れてその陰部を裂いてやりたく思った。裂いて、そして女の死骸の血だらけになっ て闇の中に横たわっているところ幻になりと見たいと思った! ああ、男には最も残酷な仕方によって女を殺す権利がある! 何という恐ろしい、嫌なことだろう!
 すでに人のいない所へ行くこともできず、されぱといって、何一つ満足を得ることもできぬ。人生そのものの苦痛に耐え得ず、人生そのものをどうすることもできぬ。すべてが束縛だ、そして重い責任がある。どうすれぱよいのだ? ハムレットは、「To be, or, not to be?」と言った。しかし今の世では、死という問題はハムレットの時代よりももっと複雑になった。ああ、イリア! "Three of them"の中のイリア! イリアの企ては人間の企て得る最大の企ててあった! 彼は人生から脱出せんとした、否、脱出した。そしてあらん限りの力をもって、人生―我らのこの人生から限りなき暗黒の道へ駆け出した。そして、石の壁のために頭を粉砕して死んでしまった!ああ!
 イリアは独身者であった。予はいつでもそう思う。イリアはうらやましくも独身者であった!悲しきイリアと子との相違はここだ!
 予は今疲れている。そして安心を求めている。その安心とはどんなものか? どこにあるのか? 苦痛を知らぬ昔の白い心には百年たっても帰ることができぬ。安心はどこにある?
「病気をしたい。」この希望は長いこと予の頭の中にひそんでいる。病気!人の厭うこの言葉は、予に故郷の山の名のようになつかしく聞こえる1ああ、あらゆる責任を解除した自由の生活! 我らがそれを得るの道はただ病気あるのみだ!
「みんな死んでくれればいい。」そう思っても誰も死なぬ。「みんなが俺を敵にしてくれれぱいい。」そう思っても話もべつだん敵にもしてくれぬ。友達はみんな値を憐れんでいる。ああ! なぜ予は人に愛されるのか? なぜ予は人を心から憎むことができぬか? 愛されるということは耐えがたい侮辱だ!
 しかし子は疲れた! 子は弱者だ!
 一年ばかりの間、いや、一月でも、
 一週問でも、三日でもいい、

神よ、もしあるなら、ああ、神よ、
私の願いはこれだけだ、どうか、
からだ
身体をとこか少しこわしてくれ、痛くても
かまわない、どうか病気さしてくれ!
ああ! どうか……

真っ白な、柔らかな、そして
身体がふうわりとどこまでも―
安心の谷の底までも沈んでゆくような布団の上に、いや、
養老院の古畳の上でもいい、
なんにも考えずに、(そのまま死んでも
惜しくはない!)ゆっくりと寝てみたい!
手足を誰か来て盗んで行っても
知らずにいる程にゆっ<り寝てみたい!

どうだろう!その気持ちは? ああ、
想像するだけでも眠くなるようだ! 今着ている
この着物を―重い、重いこの責任の着物を
脱ぎ捨ててしまったら、(ああ、うっとりする!)
私のこの身体が水素のように
ふうわりと軽くなって、
高い、高い、大空へ飛んでゆくかもしれない1
「雲雀だ。」
下ではみんながそう言うかもしれない!ああ!

死だ! 死だ! 私の願いはこれ
たった一つだ! ああ!
あっ、あっ、ほんとに殺すのか?待ってくれ、
ありがたい神様、あ、ちょっと!
ほんの少し、パンを買うだけだ、五―五―五銭でもいい!
殺すくらいのお慈悲があるなら!

 雨を含んだ生暖かい風の吹く晩だ。遠くに蛙の声がする。
 光子から、旭川に行ったという葉書がきた。名前は何でも、妹は外国人の居候だ! 兄は花盛りの都にいて袖口の切れた綿入れを着ている。妹は北海道の真ん中に六尺の雪に埋もれて讃美歌を歌っている!
 午前三時、ハラハラと雨が落ちてきた。
明治42.4.11金田一京助と花見へ 与謝野鉄幹宅にて歌会
予は孤独を喜ぶ人間だ。生まれながらにして個人主義の人間だ
四月十一日 日曜日
 八時頃眼を覚ました。桜という桜が蕾一つ残さず咲きそろって、散るには早き日曜日、空はのどかに晴れ渡って、暖かな日だ。二百万の東京人がすべてを忘れて遊び暮らす花見は今日だ。
 何となく気が軽くさわやかで、若き日の元気と楽しみが身体中に溢れているようだ。昨夜の気持ちはどこへ行ったのかと思われた。
 金田一君は花婿の〔よう〕にソワソワしてセッセと洋服を着ていた。二人は連れだって九時頃に外へ出た。
 田原町で電車をすてて浅草公園を歩いた。朝をからに人出が多い。予はたわむれに一銭を投じて占いの紙を取った。吉と書いてある。予のたわむれはそれから始まった。吾妻橋から川蒸気に乗って千住大橋まで隅田川を遡った。初めて見た向島の長い土手は桜の花の雲にうずもれてみえる。鏡ケ淵を過ぎると、眼界は多少田園の趣を帯びてきた。筑波山も花曇りに見えない。見ゆる限りは春の野!
 千住の手前に赤く塗られた長い鉄橋があった。両岸は柳の緑。千住に上がって二人はしぱしそこらをぷらついた。予は、裾をはしおり、帽子をアミダにかぶって、しこたま友を笑わせた。
 そこからまた船で鏡ケ淵まで帰り、花のトンネルになった土手の上を数しれぬ人を分けて東京の方に向かって歩いた。予はその時も帽子をアミダにかぷり、裾をはしおって歩いた。何の意味もない、ただそんなことをしてみたかったのだ。金田一の外聞が悪がっているのが面白かったのだ。何万の晴れ着を着た人が、ゾロゾロと花のトンネルの下を歩く。中には、もう、酔っぱらっていろいろな道化た真似をしているのもあった。二人は一人の美人を見つけて、長いことそれと前後して歩いた。花はどこまでも続いている。人もどこまでも続いている。
 言問からまた船に乗って浅草に来た。そこで、とある牛肉屋で昼飯を食って、二人は別れた。予は、今日、与謝野さんの宅の歌会へ行かねばならなかったのだ。無論面白いことのありようがない。昨夜の「パンの会」は盛んだったと平出君が話していた。あとで来た吉井は、「昨晩、永代橋の上から酔っぱらって小便をして、巡査に咎められた。」と言っていた。なんでも、みんな酔っぱらって大騒ぎをやったらしい。
 例のごとく題を出して歌をつくる。みんなで十三人だ。選のすんだのは九時頃だったろう。予はこの頃真面目に歌などをつくる気になれないから、相変わらずへなぷってやった。その二つ三つ。


わが髭の下向く癖がいきどおろし、この頃憎き男に似たれば。
いつも逢う赤き上着を着て歩く、男の眼この頃気になる。
ククと鳴る鳴革いれし靴はけば、蛙をふむに似て気味わろし。
その前に大口あいて欠伸するまでの修業は三年もかからん。
家を出て、野越え、山越え、海越えて、あわれ、どこにか行かんと思う。
ためらわずその手取りしに驚きて逃げたる女再ぴ帰らず。
君が眼は万年筆の仕掛にや、絶えず涙を流していたもう。
女見れば手をふるわせてタズタズとどもりし男、今はさにあらず。
青草の土手にねころぴ、楽隊の遠き響きを大空から聞く。

晶子さんは徹夜をして作ろうと言っていた。予はいいかげんな用をこしらえてそのまま帰ってきた。金田一君の部屋には碧海君が来ていた。予もそこへ行って一時間ばかり無駄話をした。そしてこの部屋に帰った。
 ああ、惜しい一日をつまらなく過ごした! という悔恨の情がにわかに予の胸に湧いた。花を見るならなぜ一人行って、一人で思うさま見なかったか? 歌の会! 何というつまらぬ事だろう! 

 予は孤独を喜ぶ人間だ。生まれながらにして個人主義の人間だ。人と共に過ごした時間は、いやしくも、戦いてない限り、予には空虚な時間のような気がする。一つの時間を二人なり三人なり、あるいはそれ以上の人と共に費やす。その時間の空虚に、少なくとも半分空虚にみえるのは自然のことだ。
 以前予は人の訪問を喜ぶ男だった。従って、一度来た人にはこの次にも来てくれるように、なるべく満足を与えて帰そうとしたものだ。何というつまらぬことをしたものだろう! 今では人に来られても、さほど嬉しくもない。嬉しいと思うのは金のない時にそれを貸してくれそうな奴の来た時ばかりだ。しかし、予はなるべく借りたくない。もし予が何ごとによらず、人から憐れまれ、助けらるることなしに生活することができたら、予はどんなに嬉しいだろう! これは敢えて金のことぱかりではない。そうなったら予はあらゆる人間に口一つきかずに過ごすこともできる。
「つまらなく暮らした!」そう思ったが、その後を考えるのが何となく恐ろしかった。机の上はゴチャゴチャしている。読むべき本もない。さしあたりせねばならぬ仕事は母やその他に手紙を書くことだが、予はそれも恐ろしいことのような気がする。何とでもいいからみんなの喜ぷようなことを言ってやって憐れな人たちを慰めたいとはいつも思う。予は母や妻を忘れてはいない、否、毎日考えている。そしていて子は今年になってから手紙一本と葉書一枚やったきりだ。そのことはこないだの節子の手紙にもあった。節子は、三月でやめるはずだった学校にまだ出ている。今月はまだ月初めなのに、京子の小遣いが二十銭しかないといってきた。予はそのため社から少し余計に前借した。五円だけ送ってやるつもりだったのだ。それが、手紙を書くがいやさに一日二日と過ぎて、ああ…!
 すぐ寝た。
この日、朝に群馬県の新井という人が来た。「落栗」という雑誌を出すそうだ。
明治42.4.12 友人関係について
予は予の欲するままに! そして、人に愛せられるな。
人の恵みを受けるな。人と約束するな。
四月十二日 月曜日
 今日も咋日に劣らぬうららかな一日であった。風なき空に花は三日の命を楽しんでまだ散らぬ。窓の下の桜は花の上に色浅き若芽をふいている。コブの木の葉はだいぶ大きくなった。
 坂を下りて田町に出ると、右側に一軒の下駄屋がある。その前を通ると、ふと、楽しい、賑やかな声が、なつかしい記憶の中からのように予の耳に入った。予の眼には広々とした青草の野原が浮かんだ―下駄屋の軒の籠の中で雲雀が鳴いていたのだ。一分か二分の間、予はかの故郷の生出野と、そこへよく銃猟に一緒に行った、死んだ従兄弟のことを思い出して歩いた。
 思うに、予はすでに古き―然り!古き仲間から離れて、自分一人の家をつくるべき時機となった。友人というものに二つの種類がある。一つは互いの心に何か相求むるところがあっての交わり。そして一つは互いの趣味なり、意
見なり、利益なりによって相近づいた交わりだ。第一の友人は、その互いの趣味なり、意見なり、利益なり、あるいは地位なり、職業なりが違っていても、それが直接二人の間に真面目に争わねぱならぬような場合にたち至らぬ限り、決して二人の友情の妨げとはならぬ。その間の交わりは比較的長く続く。
 ところが第二の場合における友人にあっては、それとよほど趣を異にしている。無論この場合において成り立ったものも、途中から第一の場合の関係に移って、長く続くこともある。が、大体この種の関係は、言わば、一種の取引関係である、商業的関係である。AとBとの間の直接関係でなくて、Aの所有する財産、もしくは、権利―即ち、趣味なり、意見なり、利益なり―と、Bの有するそれとの関係である。店なり銀行なりの相互の関係は、相互の営業状態に何の変化の起こらぬ問だけ続く。いったんそのどちらかにある変化が起こると、取引はそこに断絶せざるを得ない。まことに当たり前のことだ。
 もしそれが第一の関係なら、友人を失うということは、不幸なことに違いない。が、もしもそれが第二の場合における関係であったなら、必ずしも幸福とは言えぬが、また敢えて不幸ではない。その破綻が受動的に起これば、その人が侮辱を受けたことになり、自動的に起こしだとすれば、勝ったことになる。予がここに「古き仲間」と言ったのは、実は、予の過去においての最も新しい仲間である、否、あった。予は与謝野氏をば兄とも父とも、無論、思っていない。あの人はただ予を世話してくれた人だ。世話した人とされた人との関係は、した方の人がされた方の人よりえらくている間、もしくは互いに別の道を歩いてる場合、もしくはした方の人がされた方の人よりえらくなくなった時だけ続く。同じ道を歩いていて、そして互いの間に競争のある場合には絶えてしまう。予は今与謝野氏に対して別に敬意をもっていない。同じく文学をやりながらも何となく別の道を歩いているように思っている。予は与謝野氏とさらに近づく望みをもたぬと共に、敢えてこれと別れる必要を感じない。時あらば今までの恩を謝したいとも思っている。晶子さんは別だ。予はあの人を姉のように思うことがある……こ の二人は別だ。
 新詩社の関係から得た他の友人の多数は与謝野夫妻とはよほど趣を異にしている。平野とはすでに喧嘩した。吉井は鬼面して人を嚇す放悉な空想家の亜流―最も哀れな亜流だ。もし彼らのいわゆる文学と予の文学と同じものであるなら、予はいつでも予のペンを棄てるにためらわぬ。その他の人々は言うにも足らぬ―
 否。こんなことは何の要のないことだ。考えたって何にもならぬ。予はただ予の欲することをなし、予の欲する所に行き……すべて予白身の要求に従えば、それでよい。
 然り。予は予の欲するままに! That is all! All of all!
そして、人に愛せられるな。人の恵みを受けるな。人と約束するな。人の許しを乞わねばならぬ事をするな。決して人に自己を語るな。常に仮面をかぷっ
ておれ。いつ何時でも戦のできるように-いっ何時でもその人の頭を叩き得るようにしておけ。一人の人と友人になる時は、その人といつか必ず絶交することあるを忘るるな。
明治42.4.13 母の手紙 新聞小説を
ヨポヨポした平仮名の、仮名違いだらけな母の手紙!
四月十三日 火曜日
 朝早くちょっと眼を覚ました時、女中が方々の雨戸をくっている音を聞いた。そのほかには何にも聞かなかった。そしてそのまままた眠ってしまって、不覚の春の眠りを十一時近くまでも負った。花曇りした、のどかな日。満都の花はそろそろ散リ始めるであろう。おつねが来て、窓ガラスをきれいにふいてくれた。

 老いたる母から悲しき手紙がきた。―
「このあいだみやざきさまにおくられしおてがみでは、なんともよろこぴおり、こんにちかこんにちかとまちおり、はやしがつになりました。いままでおよぱないもりやまかないいたしおり、ひにましきょうこおがり、わたくしのちからでかでることおよぴかねます。そちらへよぷことはできませんか? ぜひおんしらせくなされたくねがいます。このあいだ六か七かのかぜあめつよく、うちにあめもり、おるところなく、かなしみに、きょうこおぽいたちくらし、なんのあわれなこと(と)おもいます。しがつ二かよりきょうこかぜをひき、いまだなおらず、(せっこは)あさ八じで、五じか六(じ)かまでかえらず。おっかさんとなかれ、なんともこまリます。それにいまはこづかいなし。いちえんでもよろしくそろ。なんとかはやくおくりくなされたくねがいます。おまえのつごうはなんにちころよぴくださるか? ぜひしらせてくれよ。へんじなきと(き)はこちらしまい、みなまいりますからそのしたくなされませ。はこだてにおられませんから、これだけもうしあげまいらせそろ。かしこ。
        しかつ九か。かっより。
いしかわさま。」

 ヨポヨポした平仮名の、仮名違いだらけな母の手紙! 予でなければ何人といえどもこの手紙を読み得る人はあるまい! 母が幼かった時はかの盛岡仙北町の寺小屋で、第一の秀才だったという。それが一たぴわが父に嫁して以来四十年の間、母はおそらく一度も手紙を書いたことがなかったろう。予の初めて受け取った母の手紙は、おととしの夏のそれであった。予は母一人を故郷に残して函館に行った。老いたる母はかの厭わしき渋民にいたたまらなくなって、忘れ果てていた平仮名を思い出して予に悲しき手紙を送った!その後予は、去年の初め釧路にいて小樽からの母の手紙を受け取った。東京に出てからの五本目の手紙が今日きたのだ。初めの頃からみると間違いも少ないし、字もうまくなってきた。それが悲しい! ああ! 母の手紙!

 今日は予にとって決して幸福な日ではなかった。起きた時は、何となく寝過ごしたけだるさはあるものの、どことなく気がのんびりして、身体中の血のめぐりのよどみなくすみやかなるを感じた。しかしそれもちょっとのことであった。予の心は母の手紙を読んだ時から、もう、さわやかではなかった。いろいろの考えが浮かんだ。頭は何かこう、春の圧迫というようなものを感じて、自分の考えそのものまでがただもうまだるっこしい。「どうせ予にはこの重い責任を果たすアテがない。…むしろ早く絶望してしまいたい。」こんな事が考えられた。
 そうだ! 三十回位の新聞小説を書こう。それなら或いは案外早く金になるかもしれない!
 頭がまとまらない。電車の切符が一枚しかない。とうとう今日は社を休むことにした。
 貸本屋が来たけれど、六銭の金がなかった。そして、「空中戦争」という本を借りて読んだ。
   新しき都の基礎
 やがて世界の戦は来らん!
 フェニックスの如き空中軍艦が空に群れて
 その下にあらゆる都府が毀たれん!
 戦は長く続かん! 人々の半ばは骨となるならん!
 しかる後、表れ、しかる後、我らの
 「新しき都」はいずこに建つべきか?
 滅びたる歴史の上にか! 思考と愛の上にか? 否、否。
 土の上に、然リ、土のうえに。何の――夫婦という
 定まりも区別もなき空気の中に。
 果てしれぬ蒼き、蒼き空のもとに!
明治42.4.14 中島孤島、内山舜に会う
二人はその床の間の花瓶の桜の花を、部屋いっぱい
四月十四日 水曜日
 晴。佐藤さんに病気届をやって、今日と明日休むことにした。昨夜金田一君から、こないだの二円返してくれたので、今日は煙草に困らなかった。そして書きはじめた。題は,「ホウ」、あとで「木馬」と改めた。
 創作の興と性欲とはよほど近いように思われる。貸本屋が来て妙な本を見せられると、なんだか読んでみたくなった。そして借りてしまった。一つは「花の朧夜」、一つは「情の虎の巻」。「朧夜」の方をローマ字で帳面に写して、三時間ばかり費やした。
 夜は金田一君の部屋に中島君と、噂に聞いていた小詩人君―内山群君が来たので、予も行った。内山君の鼻の恰好たらない! 不恰好な里芋を顔の真ん
中にくっつけてその先を削って平たくしたような鼻だ。よくしゃべる、たてつづけにしゃべる。まるで髭をはやした豆造のようだ。背も低い。予の見た数しれぬ人のうちにこんな哀れな人はなかった。まことに哀れな、そして道化だ、罪のない―むしろそれが度を過ごして、かえって思うさまぷん殴ってやりたくなるほど哀れな男だ。真面目で言うことはみな滑稽に聞こえる。そして何かおどけた事を言って不恰好な鼻をすすり上げると泣くのかと思える。詩人! この人のつとめる役はお祭りの日に片蔭へ子供らを集めて、泣くような歌を歌いながら鉢巻きをして踊る―それだ!
 雨が降ってきた。もう十時近かった。中島君は社会主義者だが、彼の社会主義は貴族的な社会主義だ―彼は俥で帰って行った。そして内山君―詩人は本当の社会主義者だ……番傘を借りて帰って行くその姿はまことに詩人らしい恰好を備えていた…
 何か物足らぬ感じが子の胸に一そして金田一君の胸にもあった。二人はその床の間の花瓶の桜の花を、部屋いっぱいに―敷いた布団の上に散らした。そして子供のようにキャッキャ騒いだ。
 金田一君に布団をかぶせてパタパタ叩いた。そして予はこの部屋に逃げてきた。そしてすぐ感じた。「今のはやはり現在に対する一種の破壊だ!」
「木馬」を三枚書いて寝た。節子が恋しかった―しかしそれは侘しい雨の音のためではない。「花の朧夜」を読んだためだ!
 中島弧島君は予の原稿を売ってくれると云った。
明治42.4.15 節子との恋 夫婦制度 生活に悩み歩く
予はなぜ親や妻や子のために束縛されねばならぬか?
四月十五日 木曜日
 否! 予における節子の必要は単に性欲のためぱかりか? 否! 否!
 恋は醒めた。それは事実だ。当然の事実だ―悲しむべき、しかしやむを得ぬ事実だ!
 しかし恋は人生のすべてではない。その一部分だ、しかもごく僅かな一部分だ。恋は遊戯だ。歌のようなものだ。人は誰でも歌いたくなる時がある。そして歌ってる時は楽しい。が、人は決して一生歌ってぱかりはおられぬものである。同じ歌はかり歌ってるといくら楽しい歌でも飽きる。またいくら歌いたくっても歌えぬ時がある。
 恋は醒めた。予は楽しかった歌を歌わなくなった。しかしその歌そのものは楽しい。いつまでたっても楽しいに違いない。
 予はその歌ぱかりを歌ってることに飽きたことはある。しかし、その歌をいやになったのではない。節子はまことに善良な女だ。世界のどこにあんな善良な、やさしい、そしてしっかりした女があるか? 予は妻として節子よりよき女を持ち得るとはどうしても考えることができぬ。予は節子以外の女を恋しいと思ったことはある。他の女と寝てみたいと思ったこともある。現に節子と寝ていながらそう思ったこともある。そして予は寝た―他の女と寝た。しかしそれは節子と何の関係がある? 予は節子に不満足だったのではない。人の欲望が単一でないだけだ。
 予の節子を愛してることは昔も今も何の変わりがない。節子だけを愛したのではないが、最も愛したのはやはり節子だ。今も―ことにこの頃予はしきりに節子を思うことが多い。
 人の妻として世に節子ほど可哀想な境遇にいるものがあろうか?!
 現在の夫婦制度―すべての社会制度は間違いだらけだ。予はなぜ親や妻や子のために束縛されねばならぬか?親や妻や子はなぜ予の犠牲とならねばならぬか? しかしそれは予が親や節子や京子を愛してる事実とはおのずから別問題だ。

 まことに厭な朝であった。恋のごとくなつかしい春の眠りを捨てて起き出てたのは、もう十時過ぎであった。雨―強い雨が窓にしぷいていた。空気はジメジメしている。便所に行って驚いて帰って来た。咋日まで冬木のままであった木がみな浅緑の芽をふいている。西片町の木立は咋日までの花衣を脱ぎすてて、雨の中に煙るような若葉の薄物をつけている。
 一晩の春の雨に世界は緑色に変わった!
 今朝また下宿屋の催促!
 こういう生活をいつまで続けねばならぬか? この考えはすぐに予の心を弱くした。何をする気もない。そのうちに雨が晴れた。どこかへ行きたい。そう思って予は出た。金田一君からまさかの時に質に入れて使えと言われていたインバネスを松坂屋へ持って行って、二円五十銭借り、五十銭は先に入れているのの利子に入れた。そうして予はどこに行くべきかを考えた。郊外へ出たい
―が、どこにしよう? いつか金田一君と花見に行ったように、吾妻橋から川蒸気に乗って千住大橋へ行き、田舎めいた景色の中をただ一人歩いてみよう
か?或いはまた、もしどこかに空き家でもあったら、こっそりその中へ入って夕方まで寝てみたい! とにかく予のその時の気持ちでは人の沢山いるところは厭であった。予はその考えを決めるために本郷館―勧工場をひと廻りした。そして電車に乗って上野に行った。
 雨のあとの人少なき上野! 予はただそう思って行った。桜と桜の木は、花が散りつくして萼だけ残っている―汚ない色だ。楓の緑! 泣いたあとの顔のような醜さの底から、どことなくもう初夏の刺激強き力が現れているようにみえる。とある堂の後ろで、四十位の癩病患者の女が巡査に調べられていた。どこかへ行きたい! そう思って予は歩いた。高い響きが耳に入った。それは上野のステーションの汽笛だ―
 汽車に乗りたい! そう予は思った。どこまでというアテはないが、乗って、そしてまた行ったことのない所へ行きたい! 幸いふところには三円ばかりある。ああ! 汽車に乗りたい! そう思って歩いているとポツリポツリ雨が落ちてきた。
 雨は別に本降りにもならずに晴れたが、その時はもう予は広小路の商品館の中を歩いていた。そして、馬鹿な! と思いながら、その中の洋食店へ入って西洋料理を食った。
 原稿紙、帳面、インクなどを買って帰った時金田一君も帰って来た。そして一緒に湯に入った。
『木馬』!
明治42.4.16 死にたい 小説が書けない 希望がない
みんなが死んでくれるか、予が死ぬか。二つに一つだ!
十六日 金曜日
 何という馬鹿なことだろう! 予は昨夜、貸本屋から借りた徳川時代の好色本『花の朧夜』を三時頃まで帳面に写した―ああ、予は! 予はその激しき楽しみを求むる心を制しかねた!
 今朝は異様なる心の疲れを抱いて十時半頃に眼を覚ました。そして宮崎君の手紙を読んだ。ああ! みんなが死んでくれるか、予が死ぬか。二つに一つだ! 実際予はそう思った。そして返事を書いた。予の生活の基礎は出来た、ただ下宿をひき払う金と、家を持つ金と、それから家族を呼び寄せる旅費! それだけあればよい! こう書いた。そして死にたくなった。
 やろうやろうと思いながら、手紙を書くのが厭さに―恐ろしさに、今日までやらずにおいた一円を母に送った―宮崎君の手紙に同封して。
 予は昨夜の続き―『花の朧夜』を写して、社を休んだ。
 夜になった。金田一君が来て、予に創作の興を起こさせようといろいろな事を言ってくれた。予は何ということなく、ただもうむやみに滑稽なことをした。
「自分の将来が不確かだと思うくらい、人間にとって安心なことはありませんね! ハ、ハ、ハ、ハ!」
 金田一君は横に倒れた。
 予は胸のあぱら骨をトントン帽で叩いて、「僕が今何を―何の曲を弾いてるか、分かりますか?」あらん限りの馬鹿真似をして、金田一君を帰した。そしてすぐペンをとった。
三十分過ぎた。予は予がとうてい小説を書けぬ事をまた真面目に考えねぱならなかった。予の未来に何の希望のないことを考えねばならなかった。そして予はまた金田一君の部屋に行って、数限りの馬鹿真似をした。胸に大きな人の顔をかいたり、いろいろな顔をしたり、口笛でうぐいすやほととぎすの真似をしたり―そして最後に予はナイフを取り上げて芝居の人殺しの真似をした。金田一君は部屋の外に逃げ出した! ああ! 予はきっとその時ある恐ろしいことを考えていたったに相違ない!
 予はその部屋の電灯を消した、そして戸袋の中にナイフを振リ上げて立っていた!―
 二人がさらに予の部屋で顔を合わした時は、どっちも今のことをあきれていた。予は、自殺ということは決してこわいことでないと思った。
 かくて、夜、予は何をしたか? 『花の朧夜』!
 二時頃だった。小石川の奥の方に火事があって、真っ暗な空にただ一筋の薄赤い煙がまっすぐに立ち昇った。
 火! ああ!
明治42.4.17 自殺について書く 「断然文学を止めよう。」と
「断然文学を止めよう。」と一人で言ってみた
十七日 土曜日 
 十時頃に並木君に起こされた。予は並木君から時計を質に入れてまだ返さずにいる。その並木君の声で、深い、深い眠りの底から呼び覚まされた時、予は何ともいえぬ不愉快を感じた。罪を犯した者が、ここなら安心とどこかへ隠れていた所へ、巡査に踏み込まれたならこんな気持ちがするかもしれぬ。
 どうせ面白い話のありようはない。無論時計の催促を受けたんでも何でもないが、二人の間には深い性格のへだたりがある……ゴリキーのことなどを語り合って十二時頃別れた。
 今日こそ必ず書こうと思って社を休んだ―否、休みたかったから書くことにしたのだ。それはともかくも予は昨夜考えておいた『赤インク』というのを書こうとした。予が自殺することを書くのだ。ノート三枚ばかりは書いた。そして書けなくなった!
 なぜ書けぬか? 予はとうてい予自身を客観することができないのだ。否。
とにかく予は書けない―頭がまとまらぬ。
 それから,『茂吉イズム』という題でかつて『入京記』に書こうと思っていたことを書こうとしたが…
 風呂で金田一君に会った。今神保博士から電話がかかってきたが、棒太行きが決まりそうだという。金田一君も驚いているし、予も驚かざるをえなかった。行くとすればこの春中だろうということだ。樺太庁の嘱託として「ギリヤーク」「オロッコ」などいう土人の言葉を調べるに行くのだそうだ。
 風呂から上がってきて机に向かうと悲しくなった。金田一君が樺太へ行きたくないのは、東京で生活することのできるためだ。まだ独身でいろいろな望みがあるためだ。もし予が金田一君だったらと考えた。ああ、ああ!

 間もなく金田一君が、『独歩集第二』を持って入って来た。そして泣きたくなったと言った。そしてまた今日一日予のことばかり考えていたと言って、痛ましい眼つきをした。
 金田一君に独歩の『疲労』その他二、三篇を読んでもらって聞いた。それから樺太のいろいろの話を聞いた。アイヌのこと、朝空に羽ばたきする鷲のこと、船のこと、人の入れぬ大森林のこと…
「樺太まで旅費がいくらかかります?」と予は問うた。
「二十円ばかりでしょう。」
「フーム。」と予は考えた。そして言った。「あっちへ行ったら何か僕にできるような口を見つけてくれませんか? 巡査でもいい!」
 友は痛ましい眼をして予を見た。
 一人になると、予はまた厭な考えごとを続けなければならなかった。今月ももう半ば過ぎだ。社には前借があるし…そして、書けぬ!
『スパル』の歌を直そうかとも思ったが、紙をのべただけで厭になった。空き家へ入って寝ていて、巡査に連れられて行く男のことを書きたいと思ったが、しかし筆をとる気にはなれぬ。
泣きたい!真に泣きたい!
「断然文学を止めよう。」と一人で言ってみた。
「止めて、どうする?何をする?」
「Death」と答えるほかはないのだ。実際予は何をすればよいのだ? 予〔の〕することは何かあるだろうか?
 いっそ田舎の新聞へでも行こうか! しかし行ったとてやはり家族を呼ぶ金は容易に出来そうもない。そんなら、予の第一の問題は家族のことか?
 とにかく問題は一つだ。いかにして生活の責任の重さを感じないようになろうか? 一これだ。
 金を自分が持つか、然らずんば、責任を解除してもらうか、二つに一つ。
 おそらく、予は死ぬまでこの問題をしょって行かねばならぬだろう! とにかく寝てから考えよう。(夜一時。)
明治42.4.18 仲の悪かった妹光子のこと
予は妹―哀れなる妹を思うの情に堪えぬ。会いたい!
十八日 日曜日
 早く眼は覚ましたが、起きたくない。戸が閉まっているので部屋の中は薄暗い。十一時までも床の中にモゾクサしていたが、社に行こうか、行くまいかという、たった一つの問題をもてあました。行こうか? 行きたくない。行くまいか? いや、いや、それでは悪い。何とも結末のつかぬうちに女中がもう隣の部屋まで掃除してきたので起きた。顔を洗ってくると、床を上げて出て行くつねの奴。
「掃除はお昼過ぎにしてやるから、ねえ、いいでしょう?」
「ああ。」と予は気抜けしたような声で答えた。「―してやる?フン。」と、これは心のうち。節子から葉書が来た。京子が近頃また身体の具合がよくないので医者〔に〕みせると、また胃腸が悪い―しかも慢性だと言ったとのこと。予がいないので心細い。手紙がほしいと書いてある。
 とにかく社に行くことにした。一つは節子の手紙を見て気をかえたためでもあるが、また、「今日も休んでる!」と女中ともに思われたくなかったからだ。いや「なーに、厭になったら途中からどっかへ遊びに行こう!」そう思って出たが、やっぱり電車に乗ると切符を数寄屋橋に切らせて社に行ってしまった。
 三つ位の可愛い女の子が乗っていた。京子のことがすぐ予の心に浮かんだ。節子は朝に出て夕方に帰る。その一日、狭苦しい家の中はおっかさんと京子だけ! ああ、おばあさんと孫! 予はその一日を思うと、眼がおのずからかすむを覚えた。子供の楽しみは食い物のほかにない。その単調を、薄暗い生活に倦んだ時、京子はきっと何か食べたいとせがむであろう。何もない。「おばあさん、何か、おばあさん!」と京子は泣く。なんとすかしてもきかない。「それ、それ……」と言って、ああ、たくあん漬!
 不消化物がいたいけな京子の口から腹に入って、そして弱い胃や腸を痛めている様が心に浮かんだ!
 にせ病気をつかって五日も休んだのだから、予は多少敷居の高いような気持ちで社に入った。無論何の事もなかった。そして、ここに来ていさえすれば、つまらぬ考えごとをしなくてもいいようで、何だか安心だ。同時に、何の係累のない―自分の取る金で自分一人を処置すればよい人たちがうらやましかった。おたる新聞事業の興味が、校正の合間合間に予を刺激した。予は小樽が将来最も有望な都会なことを考えた。そして、小樽に新聞を起こして、あらん限りの活動をしたら、どんなに愉快だろうと思った。
 妄想は果てもない! 函館の津波……金田一君と共に樺太へ行くこと…ロシア領の北部樺太へ行って、いろいろの国事犯人に会うこと… 
 帰りに唖の女を電車の中で見た。「小石川」と手帳へ書いて、それを車掌に示して、乗換切符をもらっていた。

 妹―親兄弟に別れ、英国人のエバンス(?)という人と共に今月旭川へ行った光子から長い手紙が来ていた。「…この頃はだいぶ町にも慣れまして、凌ぎやすくなりました。でも、こう、柔らかな春日和を窓ごしに受けてなどおりますと、どこも思い出しませんが、ただ、故郷なる渋民を思い出します。兄様に言いつけられて、あの山道の方など、菫を探しに歩きました当時のことをある追懐いたします。兄様も或いはその当時の有様を心におたどりになることがおありかもしれません! ……私の机の上に可愛らしい福寿草があります。それを見ていますと、今日、ふと故郷が思い出されてなりませんの。よく菫や福寿草を探しに、あの墓場のほとりを歩きましたっけ! ……そして、いろいろなことを思い出しましたの。兄様に叱られた昔のことを思っては、新しく恨んでもみました―許して下さいませ! 今は叱られたくても及びません!
「なぜあの時、甘んじて兄様に叱られなかったでしょう? 今になってはそれがこの上もなく、悔しゅうございます。もう一度兄様に叱られてみたくって! しかしもう及びません! ……実際私の心がけは間違ってましたねえ! ……兄様は今渋民の誰かとお便りなすっていらっしゃるの? 私、秋浜清子さんにお手紙出したいと存じておりますが、北海道へ参ってからまだ一度も出しませんの。……
「それから私どもねえ、五月中頃は婦人会や修養会がございまして、また小樽や余市方面へ参ります……」
 ……予の眼はかすんだ。この心持ちをそのまま妹に告げたなら、妹はどんなに喜ぶであろう! 現在の予に、心ゆくばかり味わって読む手紙は、妹のそればかりだ。母の手紙、節子の手紙、それらは予にはあまり悲しい、あまり辛い。なるべくなら読みたくないとすら思う。そしてまた、予には以前のように心と心の響き合うような手紙を書く友人がなくなった。時々消息する女―二、三人の若い女の手紙―それも懐かしくないわけではないが、しかしそれは偽りだ。……妹! 予のただ一人の妹! 妹の身についての責任はすべて予にある。しかも予はそれを少しも果たしていない。―おととしの五月の初め、予は渋民の学校でストライキをやって免職になり、妹は小樽にいた姉のもとに厄介になることになり、予もまた北海道へ行って何かやるつもりで、一緒に函館まで連れてってやった。津軽の海は荒れた。その時予は船に酔って青くなってる妹に清心丹などを飲まして、介抱してやった。―ああ! 予がたった一人の妹に対して、兄らしいことをしたのは、おそらく、その時だけなのだ! 
 妹はもう二十二だ。当たり前ならば無論もう結婚して、可愛い子供でも抱いてるべき年だ。それを、妹は今までもいくたびか自活の方針をたてた。不幸にしてそれは失敗に終わった。あまりに兄に似ている不幸な妹は、やはり現実の世界に当てはまるように出来ていなかった! 最後に妹は神を求めた。否、おそらくは、神によって職業を求めた。光子は、今、冷ややかな外国婦人のもとに養われて、「神のため」に働いている。来年は試験を受けて名古屋のミッション・スクールヘ入り、「一生を神に捧げて」伝道婦になるという!
 兄に似た妹は果たして宗教家に適しているだろうか!
 性格のあまりに近いためでがなあろう。予と妹は小さい時から仲が悪かった。おそらくこの二人のくらい仲の悪い兄弟はどこにもあるまい。妹が予に対して妹らしい口を利いたことはあったが、予はまだ妹がイジコの中にいた時から、ついぞ兄らしい口を利いたことはない!
 ああ! それにもかかわらず、妹は予を恨んでない。また昔のように叱られてみたいと言ってる―それがもうできないと悲しんでる! 予は泣きたい!
 渋民! 忘れんとして忘れ得ぬのは渋民だ! 渋民! 渋民! 我を育て、そして迫害した渋民! ……予は泣きたい、泣こうとした。しかし涙が出ぬ!……その生涯の最も大切な十八年の間を渋民に送った父と母―悲しい年寄りだちには、その渋民は余りに辛く痛ましい記憶を残した。死んだ姉は渋民に三年か五年しかいなかった。二番目の岩見沢の姉は、やさしい心と共に渋民を忘れている。思い出すことを恥辱のように感じている。そして節子は盛岡に生まれた女だ。予と共に渋民を忘れ得ぬものはどこにあるか? 広い世界に光子一人だ!
 今夜、予は妹―哀れなる妹を思うの情に堪えぬ。会いたい! 会って兄らしい口を利いてやリたい! 心ゆくばかり渋民のことを語りたい。二人とも世の中の辛さ、悲しさ、苦しさを知らなかった何年の昔に帰りたい! 何もいらぬ! 妹よ! 妹よ! 我らの一家がうち揃うて、楽しく渋民の昔話をする日は果たしてあるだろうか?
いつしか雨が降りだして、雨だれの音が佗びしい。予にしてもし父―すでに一年便りもせずにいる父と、母と、光子と、それから妻子とを集めて、たとい何のうまいものはなくとも、一緒に晩餐をとることができるなら……
 金田一君の樺太行きは、夏休みだけ行くのだそうだ。今日は言語学会の遠足で大宮まで行ってきたとのこと。

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