ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相
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1902 明治35 | 明治35年![]() ![]() しゅうらくてきご (白蘋日録 はくひんにちろく) | 明治35年10月30日~12月19日 盛岡中学を退学 文学で身を立てるべく上京 与謝野鉄幹・晶子宅を訪問 |
1904 明治37 | 明治37年![]() こうしんしてい 啄木庵日誌 | 明治37年1月1日~4月23日 堀合節子と婚約 岩手日報へ「戦雲余録」を連載 |
1906 明治39 | 明治39年![]() | 明治39年3月4日~12月30日 母と妻を伴って渋民へ 父一禎に曹洞宗から特赦 渋民尋常高等小学校の代用教員 「雲は天才である」を書く |
1907 明治40 | 明治40年![]() | 明治40年1月1日~12月30日 代用教員免職 渋民から函館へ 函館から札幌、小樽へ |
1908 明治41 | 戊申日誌 | 明治41年1月1日~12日 |
1908 明治41 | 明治41年![]() | 明治41年1月1日~4月24日 記者として釧路新聞社に勤務 文学活動を目ざし、 函館を経て東京へ向かう |
1908 明治41 | 明治41年![]() | 金田一京助の世話で東京本郷の赤心館に下宿 下宿を本郷の蓋平館別荘に移す。 |
1909 明治42 | 明治四十二年当用日誌 | 明治42年1月1日~4月6日 東京朝日新聞に入社 本郷区弓町で間借り生活 生活苦で妻節子家出 |
1909 明治42 | 明治42年![]() | 明治42年4月7日~6月1日 家の観念からの脱出を求めて |
1910 明治43 | 明治四十三年四月より | |
1911 明治44 | 明治44年![]() | 明治44年1月3日~12月31日 土岐哀果と新雑誌「樹木と果実」の創刊を協議 慢性腹膜炎のため入院加療、肺結核へ移行 妻節子とトラブル 九篇の長詩を作詩 「呼子と口笛」の詩稿ノート |
1912 明治45 | 明治45年![]() | 母カツ肺結核で死去 啄木肺結核で死去 |
啄木の日記は面白い。 特に、ローマ字日記は文学作品になっている。 (小田切秀雄より) |
啄木は日記を焼き捨てるよう遺言した。しかし、敗戦直後、関係者は日記を出版した。 死後30余年たって、遺言が無効になったと判断したのであろう。 |
啄木の日記の面白さは、2面ある。 一つは、啄木の作品の内部及び背後にある彼の生活そのものの極めて生き生きした詳細な立ち入った表現になっていることである。 作品という形で燃焼した美しい部分とそのパン種子、その素材や前提、手探りの経過、作品と作品の生活的思想的関連頭をふくめて彼の日常の具体性が日記の中につぶさに描き出されている。 もう一つは、日記と独立して実におもしろい文学作品になっていることである。 |
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