ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相
齋藤與一郎
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齋藤與一郎
齋藤 與一郎[注 1](さいとう よいちろう、1873年(明治6年)10月26日[1][2] - 1961年(昭和36年)1月5日[3])は、日本の医師。北海道函館市長。号・非魚(ひぎょ)[4]。
目次
1 経歴
2 著作
3 脚注
3.1 注釈
3.2 出典
4 参考文献
経歴
新潟県西頸城郡東早川村(現在の糸魚川市)出身[1][2]。齋藤國次郎の長男として生まれる[5]。1885年(明治18年)に函館に渡る[1]。1899年(明治32年)に医術開業免許を取得し、函館病院嘱託や函館伝染病院医長を務めた[1][2]。1906年(明治39年)からドイツに留学し、ゲッティンゲン大学やヴュルツブルク大学で衛生学を学んだ[2]。1912年(明治45年)に帰国し、函館区医に任命されるとともに、函館伝染病院医長・函館精神病院医長となった[1][2]。1925年(大正14年)より函館療養所長・柏野病院長(のち柏木病院に改称)・中の橋病院長を務め、1928年(昭和2年)からは函館水質試験所長も兼ねた[2]。
1920年(大正9年)には函館教育会長に就任し、1929年(昭和3年)より函館私立商工実修学校(のち函館市立商工青年学校)校長となった[1]。
1938年(昭和13年)5月、函館市長に選出され、1942年(昭和17年)5月27日まで1期在任し、戦時下の対応に尽力した[5]。
戦後、函館厚生院理事長、函館商科短期大学学長などを務め、1954年(昭和29年)北海道文化賞を受賞し、1957年(昭和32年)函館市名誉市民となった[4]。
著作
『非魚放談』幻洋社、1988年(原著1958年)。 - NHK函館放送局で放送した齋藤出演の郷土史に関する同名番組の書き起こし。
脚注
注釈
^ 『はこだて人物誌』『全国市長名鑑』では「斉藤」となっているが、『函館市誌』では「斎藤」となっている。『函館市史』デジタル版では「斉藤」「斎藤」が混在している。
出典
^ a b c d e f 函館市誌 pp.1120-1121 1935.
^ a b c d e f 全国市長銘鑑 p.4 1938.
^ 函館市文化・スポーツ振興財団. “はこだて人物誌” (日本語). 2016年9月10日閲覧。
^ a b 『北海道歴史人物事典』155-156頁。
^ a b 『日本の歴代市長』第1巻、55頁。
参考文献
『函館市誌』函館日日新聞社、1935年。
『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。
歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
北海道新聞社編『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年。
表話編歴
Flag of Hakodate, Hokkaido.svg 函館市長
官選
区長(区制施行前)
常野正義1879.10-1880.12林悦郎1885.10-1886.12二木彦七1886.12-1890.2添田弼1890.2-1891.1椎原国太1891.1-1891.8曽我部道夫1891.8-1892.1財部羌1892.11-1896.7龍岡信熊1896.7-1897.11
区長(区制施行後)
林悦郎1900.1-1903.4末弘直方1903.9-1904.9山田邦彦1905.3-1909.4竹内与兵衛1909.11-1910.8北守政直1910.11-1916.11渋谷金次郎1916.12-1919.3黒金泰義1919.9-1920.6西岡実太1921.7-1922.7
市長
小浜松次郎1923.7-1924.8佐藤孝三郎1924.11-1928.11木村英俊1929.1-1929.8坂本森一1929.12-1937.12齋藤與一郎1938.5-1942.5登坂良作1942.6-1946.5坂本森一1946.8-1947.4
公選
坂本森一1947.4-1947.9宗藤大陸1947.11-1955.4吉谷一次1955.5-1967.5矢野康1967.5-1983.5柴田彰1983.5-1986.5木戸浦隆一1986.5-1999.4井上博司1999.4-2007.4西尾正範2007.4-2011.4工藤壽樹2011.4-
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NDL: 00065454VIAF: 258054676WorldCat Identities: viaf-258054676
カテゴリ: 函館市長19世紀日本の医師20世紀日本の医師函館短期大学の教員日本の中等教育の教員新潟県出身の人物1873年生1961年没
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齋藤與一郎
齋藤 與一郎[注 1](さいとう よいちろう、1873年(明治6年)10月26日[1][2] - 1961年(昭和36年)1月5日[3])は、日本の医師。北海道函館市長。号・非魚(ひぎょ)[4]。
経歴[編集]
新潟県西頸城郡東早川村(現在の糸魚川市)出身[1][2]。齋藤國次郎の長男として生まれる[5]。1885年(明治18年)に函館に渡る[1]。1899年(明治32年)に医術開業免許を取得し、函館病院嘱託や函館伝染病院医長を務めた[1][2]。1906年(明治39年)からドイツに留学し、ゲッティンゲン大学やヴュルツブルク大学で衛生学を学んだ[2]。1912年(明治45年)に帰国し、函館区医に任命されるとともに、函館伝染病院医長・函館精神病院医長となった[1][2]。1925年(大正14年)より函館療養所長・柏野病院長(のち柏木病院に改称)・中の橋病院長を務め、1928年(昭和2年)からは函館水質試験所長も兼ねた[2]。
1920年(大正9年)には函館教育会長に就任し、1929年(昭和3年)より函館私立商工実修学校(のち函館市立商工青年学校)校長となった[1]。
1938年(昭和13年)5月、函館市長に選出され、1942年(昭和17年)5月27日まで1期在任し、戦時下の対応に尽力した[5]。
戦後、函館厚生院理事長、函館商科短期大学学長などを務め、1954年(昭和29年)北海道文化賞を受賞し、1957年(昭和32年)函館市名誉市民となった[4]。
著作[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 『はこだて人物誌』『全国市長名鑑』では「斉藤」となっているが、『函館市誌』では「斎藤」となっている。『函館市史』デジタル版では「斉藤」「斎藤」が混在している。
出典[編集]
参考文献[編集]
- 『函館市誌』函館日日新聞社、1935年。
- 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 北海道新聞社編『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年。
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