2000 में, शहरवासियों का लंबे समय से प्रतीक्षित सपना, अकिनाडा ओहाशी ब्रिज पूरा हुआ।
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薬王堂気まぐれ通信使№772 2017-7-23
Yakuoudo Capricious Communications Satellite
23日の日曜日、ヒコビア会の共催する植物観察会に参加します。
場所は安芸太田町滝山峡谷にある温井ダム下流域でした。
温井ダム下流域・川に沿って旧国道があります。現在は赤い橋を通ってダム上流に行くことができます。
温井ダムは平成13年(2001年)に完成します。
ダムが完成する前、滝山川旧道(国道186号線)を通って日本海側の浜田市によく通ったものです。
10日前の豪雨で国道はところどころ無残な姿になっていました。
温井ダムの上流には昭和10年に完成された王泊ダムがあります。
王泊ダムからの水は輸水管を経由して滝山川発電所に下り昭和34年から発電をしています。
当日は温井ダム下の駐車場から橋を渡り滝山峡を下降して滝山川発電所まで行き、旧道を上り駐車場まで帰るコースを歩きました。
目についた植物を記述してみましょう!
アサダ(実・樹皮)
コアカソ
イヌシデ
アカシデ
アオツヅラフジ
エゴノキ
オオモミジ
クズ
ヨコグラノキ
ケヤキ
アサガラ
アカメガシワ
イイギリ
ツルウメモドキ
クマノミズキ(葉が対生)
ヌルデ
カラムシ
ハクウンボク
ムラサキシキブ
ヤマグワ
ヒメワラビ
ハンショウヅル
カラスザンショウ
タケニグサ
ヒヨドリバナ
シロダモ
カエデドコロ
エノキ
ヤブツバキ
イヌガヤ
アオハダ
ダイセンミツバツツジ
カスミザクラ
アラカシ
ヤマウルシ
オオツヅラフジ(茎)
コウゾ
キクバボクチ
コウゾリナ
ノイバラ
ネナシカズラ?(マメダオシ?)
テイカカズラ
ヤマシロギク
コバンノキ
ユキヤナギ
オトギリソウ
オトギリソウ
ネムノキ
ミツバアケビ
ミヤコアオイ
ダイモンジソウ
オオバギボウシ
オオバギボウシ
ノコンギク
イワガラミ
ヤマイタチシダ
エゴノキ
アブラチャン
チャセンシダ
ヤブカンゾウ
カキドオシ
オオバコ
ホタルブクロ
テンナンショウの仲間
ヤブミョウガ
エビガライチゴ(別名=ウラジロイチゴ)
エビガライチゴ
イヌザンショウ
イタドリ
マツカゼソウ
ウリノキ
トチバニンジン(実)
トチバニンジンの根を見てみました。
一年で一茎が出ますので節を数えると生育年数が分ります。
トチバニンジンの根茎部、一節が一年として約28年経った株です。22年の場所で山崩れでもあったのでしょうか?折れたような痕がありました。
マタタビ
ツクバネ
ニガクサ
・・・
記録として残しておきましょう!
ホーム 一覧に戻る薬王堂気まぐれ通信使№773 2017-7-30
Yakuoudo Capricious Communications Satellite7月30日(日曜日)は広島自然観察会に参加して山口県岩国市錦町にある寂地峡に行ってきました。
ここには何度か来たことがあります。
広島から中国自動車道で吉和まで来て一般道に入り松ノ木峠から山口県に入ります。
民家のある急な坂道を下りますと寂地峡入り口に到着します。
10時集合、自宅から車で1時間半、何とか間に合いました。
約30人くらい集まっておられたでしょうか!
皆で滝登りに挑戦しました。
ここには五つの名前が付けられた滝があります。
最下段は竜尾の滝、順に登竜の滝~白竜の滝~竜門の滝~竜頭の滝と続きます。
竜尾の滝
急な登り道傍に、いろいろな植物が見られました。
シラキ
ヤマグワ
ツクバネガシ
オオキジノオ
キジノオシダ
ハリガネワラビ
ウラジロ
ヤマグルマ
コウヤマキ
コシアブラ
ウラジロマタタビとサルナシ
ガンクビソウ
カシワバハグマ
シシウド
ヒヨドリバナ
クロタキカズラ
ナルコユリ
ヤマシグレ
マタタビ
ササユリ
ダイコンソウ
その他いろいろ・・・
キノコに精しい方から教えてもらいます。
ドクツルタケとフクロツルタケ(両方とも有毒キノコ)
ガンタケ
キヒダタケ
ヒメコウジタケ
タマゴテングタケモドキ
チチダケ(食用美味・折れると乳が出るのでチダケサシに刺して持ち帰る)
シロソウメンタケ
その他もろもろ・・・
食べれるキノコがあると聞いてもその気にはなれませんでした。
ヤマアカガエルその他、両生類に精しい方もおられます。
ヤマアカガエル(喉の部分に斑紋がある)
タゴガエル(喉の部分全体に小さな斑紋が多い)
これ以外にも山中では全体が白っぽいニホンアカガエルを見ることがあるそうです。
クロナガオサ
滝を上り詰めると手掘りで掘られたトンネルに出くわします。
このトンネルは上流域にあるツガやヒノキ、スギなど建材として使う大木を運ぶために手掘りで掘られたものらしい、
灯りの無いトンネルを抜けて滝の上部に出ます。
ここから上流域は人があまり通らない場所のようです。
クラガリシダ
クラガリシダがありました。
トンネルを引き返し宇佐八幡宮まで下りてきました。
ここで昼食にします。
サンショウソウ
ハエドクソウがあります。
ハエドクソウ
ハエドクソウの花柄を皿の中の水に入れておくとハエが寄ってきて水をなめるそうです。
そうするとハエが死ぬそうな・・・本当だろうか?
こんな山奥に宇佐八幡宮の立派な社叢がありました。
正面杉木立が宇佐八幡宮、その向こうが広島県との県境域、水田中央に墓がありました。
社叢内には約1000年の樹齢がある杉が林立しています。
昔から人の営みがあったのでしょう!
オニノヤガラがありました。
オニノヤガラ
オニノヤガラの根を天麻(テンマ)と呼び薬用にします。
葉緑素を持たないラン科の植物です。
もう実になっていましたね。
近くにはキキョウの花が満開でした。
キキョウ
このあたりには特に熊が多い地区です。
早めに帰路につきました。薬王堂気まぐれ通信使№774 2017-8-14~18
Yakuoudo Capricious Communications Satelliteお盆の休みは家族で北海道に行くことにします。
子供たち家族全員集合と声をかけ千歳空港で合流しました。
以下、行動を記録してみましょう。
千歳空港にて全員集合!
14日:午前=千歳空港集合(~沖縄、~東京、~広島)
空港にてキャンピングカー2台をレンタルし分乗、
午後、オートリゾート苫小牧アルテンに直行、
当日は野外キャンプとキャンピングカーでの宿泊、
15日:旭川市に出発、目的地は旭山動物園、
宿泊はキトウシ森林公園家族旅行村にて、
16日:大雪山山系の旭岳に登山、
宿泊は前日と同じ場所でキトウシ森林公園旅行村のケビンにて、
17日:美瑛町~富良野にかけて花畑を見ながら十勝岳山麓の中富良野方面、
十勝岳温泉
宿泊は星に手のとどく丘キャンプ場でのバンガローにて、
18日:富良野を経由し千歳空港まで・・
空港にて解散、
というプログラムです。
14日
千歳空港でレンタカーの使用説明を受けます。
キャンピングカーのレンタル料金は普通車に比べ割高でしたがキャンプに必要な備品がすべて収納されています。
トイレとシャワーの設備はありませんでしたが簡単な流しや冷蔵庫は完備されていました。
道央自動車道を室蘭方面に走らせオートリゾート苫小牧アルテンに向かいました。
そこで北海道の親戚と合流、久しぶりの再会に親交を温めました。
3人の子供たちのうち、長男・長女はそれぞれ家庭を持ち、次男は独身を楽しんでいるようです。
44年前には2人だったのに13人の家族になりました。
苫小牧アルテンキャンプ場にて北海道の親戚と合流この日の夜は車に常設してある野外テントを設営して宿泊することにします。15日
昨夜は雨も降らず快適な朝を迎え朝食にします。
ここは支笏湖のそばにある樽前山山麓に位置し周辺には錦大沼公園や大小の湖沼が点在する場所です。
キツリフネ
キオン
アキタブキ
ノリウツギ
ノブキ
オオウバユリ
などが目につきます。
午前10時過ぎ、キャンプをたたみ道央自動車道に入り昨日来た道を引き返し札幌に向かいました。
札幌~江別~岩見沢と車を走らせます。
岩見沢で昼休憩を取り滝川を経由して旭川に到着したのが午後2時半くらいでした。
子供たちが楽しみにしていた旭山動物園に入ったのは午後3時ころでした。
夏の旭山動物園は夜間の動物観察が出来る企画が進行中で時間を気にせず歩くことが出来ました。
ペンギン・シロクマ・オオカミ・ユキヒョウ・カバ・アザラシ・チンパンジー・キリン・ゾウ・その他多くの野生動物を飼育していました。
私的には我が物顔で高所に居たヤギと園内を自由に飛び交うカラスが印象的でした。
男性3人に顔を出してもらいます。
旭山動物園
動物園をあとにしてキトウシ森林公園に向かいました。
ここでは皆が雑魚寐できるようケビン一棟を予約しておきました。
キトウシ山とはアイヌ語でギョウジャニンニクが多い山という意味だそうです。
街灯にガムシや北海道ではこの周辺にしか見られないという野生のカブトムシが飛来します。
ケビン周辺は手入れされた丘陵地で数棟の他、テント宿営する家族達も見られます。
16日
早朝、一人でキトウシ山に登ってみます。
標高457m、簡単な装備で入山したのは間違いだったようです。
誰もいない山道は今にもヒグマが出てきそうで鬱蒼としていました。
この山は1億年昔、海の底だったらしく海洋古生物の変性堆積岩であるチャートがむき出しになっていました。
ギョウジャニンニク
ヨブスマソウ
オオヤマザクラ
オニシモツケ
キタコブシ
コタニワタリ?
オヒョウ
ヒトリシズカ
ルイヨウボタン
ミズナラ
ホオノキ
オオカメノキ
ハリギリ
ノブキ
ツタウルシ
トリカブト(オオレイジンソウ?)
ヨツバヒヨドリ
など・・・
山頂から旭川の稲作地域を展望してみました。
キトウシ山山頂からの展望、旭川の稲作地域が広がる
16日、今日は大雪山山系の旭岳に登りました。
旭岳ロープウエイ入り口から大人数の乗れるゴンドラに乗って姿見に到着します。
13人分の乗車券が高額だったので片道を希望しましたが軽装での下山は到底無理との忠告に往復券を買います。
しかし高額を支払っただけの価値がある旭岳地獄谷周辺でした。
道すがら気の付いた植物を記述てみましょう!
ホソバノキソチドリと噴煙を上げる旭岳山麓
ホソバノキソチドリ
エゾイソツツジ
イワブクロ
シラタマノキ
コケモモ
エゾノツガザクラ
ミヤマイ
キバナシャクナゲ
ガンコウラン
ウラジロナナカマド
ジムカデ
ミヤマアキノキリンソウ
チングルマ
シラネニンジン?
ハイオトギリ
ミヤマリンドウ
エゾオヤマリンドウ
エゾオヤマリンドウ
エゾマルバシモツケ
エゾマルバシモツケ
アオノツガザクラ
ウラジロタデ
ハイマツ
イワツツジ
ヤマハハコ
・・・
蝶は
クジャクチョウ
蝶①
蝶②
ここにはゆっくりもう一度来てみたいと思いました。
17日
キトウシ森林公園のケビン周辺にはオニグルミの木がたくさん植樹されていました。
荷物をキャンピングカーに積み込みキトウシ森林公園を出発します。
今日は富良野の近くをドライブします。
辺りはなだらかな丘陵地でジャガイモやトウモロコシ・麦などを栽培をしている畑地がどこまでも広がっています。
その中にラベンダーや色彩豊かな植物達を植えた人工的な植え込み園があります。
こんな広い北海道なのに国内外からの観光客はそこへそこへと集結し周辺は外国語ばかり・・・
青い湖も同じで観光地となっているようです。
昼は中富良野にある今夜の宿泊地=中富良野ベベルイ・星に手のとどく丘キャンプ場に入りました。
辺鄙な場所ながらここにも多くの観光客がジンギスカン羊の焼き肉を食べにくるようです。
我々もしっかり腹ごしらえをしたというわけ・・・
夕方から雨が降り出します。
十勝温泉に行ってみます。
かなり高所のホテルでしたがかけ流しの温泉はいい湯加減でした。
野生のエゾシカが親子ずれで来ていました。
キャンプ場に引き返しやっと晴れたけれど星の見えない叢でキャンプファイヤーをします。
子供たちは喜んでいましたね。
その夜は簡単な木造小屋(バンガロー)で眠りました。
18日
午前5時半に起床、30分ほど時間がありましたのでスケッチをしてみます。
中富良野、星の見える丘でのスケッチ
今日は北海道最後の日、沖縄組・東京組・広島組と千歳から飛び立たなければいけません。
沖縄は午前中に離陸しますので中富良野宿泊地を午前6時半に出発しました。
千歳空港までの道はさすがに北海道といった景色が広がり冬には交通が大変そうでした。
広島組は正午過ぎの出発で広島空港ではなく神戸空港を目指します。
いい北海道旅行でした。薬王堂気まぐれ通信使№779 2018-1-21Yakuoudo Capricious Communications Satellite
1月21日(日)、今年最初の広島自然観察会が矢野町にある絵下山で行われました。a
麗しき女性二人と共に参加してきました。
右上〇Pより上登山道を登りました。確認出来た植物を列記しています。
絵下山には車で頂上まで行くことはありましたが登山目的で山道を歩くことはありませんでした。
熊野別れまで車で登坂し〇のある駐車場に停車して登山開始です。
参加者は30人くらいおられたでしょうか!
私が植物のことを教わった越智謐武先生は1995年ころ、こう言われたことがあります。
「絵下山には昔シャクナゲがあったんだけど盗掘によって無くなった!」と・・
越智先生がこの山でシャクナゲを確認されたと聞きますから戦前のことかもしれません。
指導者の後をゆっくりと歩いて登りました。
絵下山登山道より見渡す松林・かつてはマツタケが多く生えていたと言います。
冬の事、葉と樹肌を見ながら確認出来た植物を記録してみました。
画像がある植物を載せてみましょう。
アカガシ
ガンピ(実) (樹肌)
ハンノキ
イワガラミ
コウヤコケシノブ
クマザサ(正確な名前は分かりません)
クロモジ
クズ
ネズミモチ
リンボク
シロダモ
キミノタマミズキ
テイカカズラ
ツクバネガシ
ツルリンドウ
ツルグミ (実)
ツルウメモドキ
ウラジロガシ
ウラジロノキ
ヤブコウジ
ヤマグルマ
ヤマグルマ・ヤマグルマは仮道管をもつ原始的な樹木とされます。
・・・・
・・・
・・約2時間後、頂上の駐車場に到着します。
ここからは瀬戸内海が一望されますが今日は大陸から寒波が押し寄せていて北は雪雲が見られます。
昼食の後に指導員から途中で拾った葉や実が何であったかを検証してもらいます。
瀬戸の島々には霞がかかり似島~江田島の一部が何とか確認できました。
霞む瀬戸の島々
帰りは車道をゆっくりと下ります。
谷筋にタマミズキの樹がありました。
タマミズキ
珍しいキミノタマミズキも近くにあります。
落ちた実を拾い上げてみましたが、こんなにたくさんの実がありながら自生し成長出来る樹株は珍しいようです。
今日はいい一日でした。薬王堂気まぐれ通信使№770 2017-6-18
Yakuoudo Capricious Communications Satellite毎年のことですが地域の薬剤師会が主催します「薬草と親しむ会」に講師として出向きました。
10年以上、この企画に協力参加しております。
今年は海田町の住民の方々を対象にお話しさせていただきました。
場所は海田総合公園運動広場のキャンプ場で行いました。
朝10時に集合です。
私は下見を兼ねて少し早めに行きました。
20分前くらいになると地域の方々が少しづつ集まってこられました。
年配の方もおられますのでコース順をどのようにするか?是非見ていただきたい植物もありますので道順を検討いたします。
安全を第一にコース取りを決めました。
特に珍しい植物があるわけではありませんでしたが作成図↑のようなものが見られました。
ウツボグサ
先ず、ウツボグサがたくさん見られました。
今の時期は青色の花が咲いていますが夏になりますと花穂だけが残り、その形が弓矢を収納する「靭=うつぼ」に似るところから命名されたと言われています。
夏には枯れたようになるので夏枯草といわれ、利尿剤として用いられるほか瘰癧などによいとされ民間薬として用いられてきました。
乳腺炎の腫れ、甲状腺腫、リンパ腺腫、眼の充血など幅広く使われています。
ノアザミとヨモギがそばに咲いています。
キク科のノアザミは同じ科のヨモギと同様に止血作用があり出血性の病気に用いられます。
鼻血、痔出血、不正出血など特に炎症性の出血によく効くようです。
韓国ドラマのチャングムのドラマでヨモギを煎じて薬用にする場面が出てきます。
この時には女性の皮膚の荒れを良くするのに使っていたような気がします。
ドクダミが花を咲かせています。
白く花びらに見えるのは総苞片という部分で花弁はなくオシベとメシベの集まりが小指の先ほどに伸びています。
採集時期は今ですが梅雨時期には乾燥するのが難しく天気の良い日に刈って半日許り太陽光に当てて水分を飛ばしたほうがいいようです。
薬効はいろいろですがドクダミという名前から想像して毒を追い出す草と考えればいいでしょう。
十薬(じゅうやく)=蕺薬(じゅうやく)=魚腥草(ぎょせいそう)とも表現されます。
大塚敬節先生はヨモギ(艾葉)・ウツボグサ(夏枯草)・ドクダミ(魚腥草)をよく使っておられました。
図の中で★印をしているのが薬として利用されているものです。
全部のものを説明はできませんが主なものを解説しました。
ゲンノショウコの若い葉がありました。
ここらの花は赤いものが咲くはずです。
イタドリは痛みを取る!という効能からの命名され茎が大きくなると立派な杖の代用になることから中国では虎杖(こじょう)と表現されます。
ビワ
野生化したビワがありました。
実は小ぶりですが美味しそうです。
葉を民間薬として漢方生薬として利用します。
民間療法は焼酎に漬けて少しずつ服用することが流行っていました。
利用方法は様々ですが、のどの炎症、声枯れ、歯槽膿漏、齲歯などなど・・葉を炙って腹にのせて腹水を治したり腹に出来た腫瘤を小さくするといったことなどにも挑戦したようです。
漢方薬では甘露飲という処方に配剤されています。
大塚先生は頑固な口内炎に用いておられたのを思い出します。
イヌビワが実をつけていました。
イヌビワの花の構造はなかなか難しようです。
イヌビワはクワ科のイチジク属に分類されていますが一つの実(果嚢)の中に雄花・雌花・虫えい花があるとされます。
果嚢にも微妙に形態がちがうものがあり雌雄果がるのでしょうか?
イチジクの実を想像しましょう。
一つの実の中にいろいろな形態があるようです。
イヌビワの実は美味しく熟れるものもあればスカスカでよく見ると実の中でうごめく幼虫やハチの姿のようなものを見ることがあります。
安易に食べると自分の頭の中に寄生するハチがいるかも?
オオバコは車前草といい民間では風邪の諸症状(のどいた・咳など)に用います。
実は車前子と呼んで膀胱炎や尿道炎に用います。
八味丸にイノコヅチ(牛膝)の根と車前子を入れた処方があって老人性の泌尿器疾患や老化防止に応用します。
ヤマフジとミツバアケビがセンダンの幹に巻き付いていました。
ヤマフジは右ネジ巻き、ミツバアケビは左ネジ巻きと説明します。
ちなみにフジ(ノダフジ)はミツバアケビと同様、左ネジ巻きであることも付け足します。
その他にもいろいろな植物が見られました。
コウゾの実
コウゾの実が赤く熟れ、オヘビイチゴも花を咲かせています。
ヤブヘビイチゴも実になっています。
フェイジョワの花が咲きクリは雌花をつけていました。
来年はどこの地域に行くことになるでしょうか?
世話役の上原氏と写って(画像は2日前の下見!)今日の会を終了した次第です。
棚田の稲の生育状況、山からの冷水が流れ込んでいました。
※一つ解らない植物がありました。解る方がおられましたらご一報ください。薬王堂気まぐれ通信使№771 2017-6-25
Yakuoudo Capricious Communications Satellite広島自然観察会の6月観察会に参加してきました。
今月は御調(みつき)八幡宮の周辺地域の観察、および御調八幡宮拝殿内の天井絵を拝観させていただきました。
今回は自然観察会の指導員の方々と三原野鳥の会、及び三原市歴史的建造物調査研究会で活躍される三好邦範先生にお世話になりました。
三好先生のお話により今回の概略をまとめてみます。
御調八幡宮の前進は西暦777年に社殿を創建したと伝えられ広島県下では最古の八幡宮とされています。
1185年には源頼朝(下分=くだしふみ)により八幡宮寺領(当時は神仏混交制度)として守護され足利氏~徳川氏~現在と継承されてきました。
御調八幡宮の特徴として諸国一宮に匹敵されるほどの大きな社殿、多くの立派な建造物(楼門・拝殿・本殿・神庫・神楽殿・その他種々)、特に本殿が大きいということらしいです。
三好先生の案内で拝殿内の天井絵を見せていただきます。
お参りの作法として手水舎で心身を清め、神殿に向かう階段の端に沿って上り、拝殿前に置かれた賽銭箱に妻との二人分の志を投入して、鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼を済ませて拝殿内に入室し正座します。
天井には約三寸四方に区切られた花鳥画が所狭しとはめ込まれていました。
その数252面、節目のない良質の一枚杉板に岩絵の具で彩色されています。
※天井絵に関しましては三好邦範先生の許可を得て掲載しております。
丁寧に削られた縦目杉板に描かれ良質の岩絵の具を使用したのでしょう奇麗な状態で保存されていました。
描かれたのは江戸時代末期(1800年ころ)、広島藩を統治していた浅野本藩のお抱え絵師達がその主役だったようです。
それが分る絵として鷹狩りの様子を描いたものが二枚あり、いずれも鷹の足にも高級武士の印である飾り紐が結わえてあること!
鷹の足に飾り紐があるのが分ります。
本職が描いたと思われるのは描かれる動物の体形・姿などがいずれもしっかりしているということでしょう。
その他にもいろいろなものが描かれています。
室内で飼われた犬
カニやナスビ
インコと思われる珍しい鳥
タコやアナゴ
子犬や丹頂鶴
などなど
丹念に特徴をとらえて描かれてはいるのですが当時は生物学が充実しておらず種の同定が曖昧なものが多く、必要以上に美しく表現したり比喩や想像上の生き物なども出てきます。
中には伊藤若冲も顔負けの鶏の絵なども含まれているようで見ているだけで楽しいのですが首が痛い!
雨漏りなどで絵が破損しているものも数枚ありました。
全252面、そのうち植物が描かれているものが190面、121種。鳥は118面、63種。昆虫は10面、10種17図。魚介類は14面、15種23図。その他の動物が21面に16種、32図。その他の図柄が33面と変化に富んでいます。
はっきり判るものとして
植物=菊・朝顔・おみなえし・かきつばた・桔梗・ざくろ・水仙・すすき・すみれ・竹・なでしこ・牡丹・松・むくげ・百合・・
鳥=ツバメ・カワセミ・ドバト・ウズラ・シジュウカラ・タンチョウ・ホトトギス類インコ・・
想像上=天女・鳳凰・比翼連理の鳥・件・鬼・怪獣の件(くだん)・
動物では鹿や犬・猫・蟹・猿・蛸・アナゴといったところ・・
貴重なものを見せていただきました。
拝礼を済ませ御調八幡宮を後にします。
近くには多くの植物がみられます。
御調八幡宮の鎮守の森
ヒメガマ
マルバマンネングサ
ヨツバムグラ(ヒメヨツバムグラ?)
キツネノボタン
イリノイヌスビトハギ
ヌスビトハギ
オカトラノオ
ナデシコ(園芸逸出)
セイヨウノコギリソウ?
クララ
イワガラミ
ネムノキ
サカキ
ヤマイバラ
ザクロ
ムクロジ
コウヤマキ
カナクギノキ
ダンコウバイ
エゴノキ (エゴノネコアシ)
・・・
近くにブッポウソウがいるという!
その場所まで出かけてみます。
いました。
フィールドスコープにデジカメのレンズ部を当てて撮影
紅いくちばしに黒い頭、蒼い羽根の鳥をフィールドスコープで何とか確認しました。
手持ちのデジカメで撮影を試みます。
やっとこれくらいの画像が得れましたので紹介してみましょう。
ブッポウソウ(仏法僧)
手術は困難なものほど遣り甲斐があって、人ができない手術をやって元気を出さないといけない。簡単なことは誰でもできるから高揚感はない。外科医が花形であるのは、利益を顧みずリスクをとるからだ。楽で金が儲かる仕事はあるが、そういう仕事での精神性は貧しく、神への祈りもない。
(1)四角い部屋を丸く掃いてはいけない
長谷川博先生が1976年の日本外科学会で肝静脈沿いに肝実質を離断する手技を発表されたが、これが非常に印象的だった。その長谷川先生に「一緒に手術しないか!」と誘われ、国立がんセンターに移り肝臓外科を始めることになった。当時、肝臓への流入血を遮断すると患者は死ぬと考えられており、無遮断のままで行っていた肝臓手術ではおびただしい出血があった。そこで、門脈流域がうっ血しないように肝臓の片側だけを間欠的に遮断したところ、出血量が半分に減った。
それまでは、東京大学で術中超音波を使って胆管の同定やLongmire手術などを行っていた(図1)。ちょうどそのころα-fetoproteinの検査が始まり、小さい肝癌の症例で開腹して検索するも術中に腫瘍が見つからないことも多かった。がんセンターに移ってから、本格的に術中超音波を導入し、その過程で発見した門脈腫瘍栓や肝内転移などの概念を発表した。また、三次元で腫瘍と脈管との関係が明確になり、系統的亜区域切除術や右下肝静脈温存手術などの新しい術式を考案した。
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図1、術中超音波の導入(1977年)われわれ外科医は、消化管の癌に対して根治性向上のためリンパ節郭清に血道を上げてきた。肝細胞癌は経門脈的に肝内転移するので、ラジオ波焼灼療法では肝内転移の処理ができない。肝右葉には肝外から認識できる区域間のランドマークがないので、担癌区域をどこまでとるのかという根源的な問題については、染色法などを駆使した領域同定が不可欠である。このように明確な肝臓解剖に基づいた、肝癌の主病変およびその二次病変を包括的に切除する姿勢がきわめて重要である。つまり、『四角い部屋を丸く掃くような切除法』では掃き損なった隅に癌が残ってしまう。また、癌根治性と機能温存との両立については、肝臓外科医が他の領域の医者より一番古くから多くのことを考え、そして克服してきた。肝機能温存だけでなく肝癌根治性も損なってはいけない。いろいろな工夫をこらしてより根治的な手術を追求することが、外科医の生きる道である。
(2)夜を昼にして頑張らねばならない
42歳の時に信州大学に移ったが、小さい肝細胞癌の切除に限界を感じ、肝移植を始めたいと考えていた。肝移植の臨床応用に向けて、論文の勉強や動物実験を行っていた。ちょうどその頃、1989年11月に島根医大の永末直文先生が日本で始めての生体肝移植を実施された。人に先を越されると、野心家はがっかりする。手術も論文も本質は同じで『夜を昼にして頑張らねばならない』、早くしないと他人が先にしてしまう。1990年に生体肝移植を始めるにあたって、「助けてもらえる人にはすべて来てもらう」が基本方針であったが、ドナーの手術は当時国立がんセンターに勤務していた高山忠利君に来て執刀してもらった。1993年には成人レシピエントへの生体肝移植を世界で初めて成功させ、肝移植の臨床現場に画期的なインパクトを与えた。以下に、肝移植での代表的な業績を列記する、
(図2)生体肝移植における肝静脈再建 A=肝静脈Y字再建、B=肝静脈の再建基準、C=Double IVC法
1. 「肝再生制御機序の解明」(Kawasaki S et al. Lancet 1992; 339: 580-1.)
2. 「世界初の成人生体肝移植」(Hashikura Y et al. Lancet 1994; 343: 1233-4.)
3. 「肝静脈Y字再建法」(Takayama T et al. J Am Coll Surg 1994; 179: 226-9.)
4. 「標準肝容積推定式の作成」(Urata K et al. Hepatology 1995; 21: 1317-21.)
5. 「尾状葉加左葉グラフト」(Takayama T et al. J Am Coll Surg 2000; 190: 635-8.)
6. 「生体ドナーへのPringle法」(Imamura H et al. Lancet� 2002; 360: 2049-50.)
7. 「右外側領域グラフト」(Sugawara Y et al. Transplantation 2002; 73: 111-4.)
8. 「肝静脈の再建基準」(Sano K et al. Ann Surg 2002; 236: 241-7.)
9. 「凍結保存ホモグラフトの導入」(Sugawara Y et al. Liver Transpl 2003; 9: 306-9. )
10. 「Double IVC法」(Sugawara Y et al. Liver Transpl 2003; 9: 306-9.)
(3)手術に言葉はいらない心で会話する
外国でも数多くの肝臓手術を行ってきた(30カ国、42手術)。言葉が通じなくて困らないか?とよく聞かれるが、『手術に言葉はいらない心で会話する』からだ。ただし、手術で使う道具名(鋏、鉗子、糸、など)は現地語で知っておいた方がいいし、道具は手持で使い慣れたものを持参した方がいい。1992年に世界最古のBologna大学で肝癌の手術を2件施行したが、その時は高山君に前立ちをしてもらった。
(図3) Bologna大学での肝切除(1992年) 左からMs. Pellegri(機械出しナース)、Prof. Gian Luca Grazi、幕内雅敏、高山忠利、Dr. Begliomini (麻酔科医)手術法を選択するには知識が豊富なacademic surgeonでなければならない。理論的に死亡の無い手術を選択しないといけない。「うまくいけばもうけもの」といった手術は手術でなくギャンブルだ、「絶対に大丈夫だと思っても人は死ぬ」からだ。私は膵管二期再建や門脈塞栓を実践しているが、これは手術死亡を実質的に0%にするためだ。この方針を過大対応と非難するむきもあるが、それが過大か適切かの判断は患者自身のものだ。同時に、新しい手術を開発するには、まず旧来の手術を良く知っており、他科の手術も良く知っいて、いつも手術のことを考えている「専門バカ」にならないといけない。
手術を上手に行う上で必要な7原則を列記する。
1. 糸がきっちり素早く縛れること。
2. 消毒から布をかけて、手術本体を完成し、最後ドレーンをつないで糸で縛る。これらが頭の中でちゃんと画面で出てくること。
3. いろいろな臓器の立体構造がよく理解できていること。
4. 術前・術後管理が抜け目なくきちっと出来ること。
5. 癌の手術とはなんぞやという根本をよく理解できていること。
(4)Cushingのacademic surgeon7原則
なぜ論文を書かねばならないのか?医師の道を選択した以上論文を書くことは責務であり、この作業を通じて自己の問題点を見つめ直すことで新しい知見を生み、最終的には患者利益に資する必要がある。論文は絶対的に英文でなければいけない!いい知見を少しでも多くの患者に広げるためだ。
英文論文の構成を一言で述べれば、Introduction は問題提起、Materials and Methodsは自分の手術内容、Resultsはその手術成績、Discussionは他人との手術成績の比較である。このようなレビューはどのような臨床現場でも必須であり、論文を書く作業は臨床医の最低限のモラルなのだ。state of the artで世界や日本の現状を知ることは、臨床医がICを取るとき、手術適応の決定、手術法の選択などに必須である。これを通じて、患者が医者および医療施設を選択する権利を保障しなければならない。
非常に良い手術を考案したら、世界中の患者がその恩恵に浴するべきであって、その成果を英文論文に書かないのは不作為であって、医師として道徳的犯罪に相当する。
さらに、『Cushingによるacademic surgeonの7原則』を引用して若手外科医の参考に供したい。
1.He must be a researcher.
2.He must be able to inoculate others with the spirit for research.
3.He must be a tried teacher.
4.He must be a capable administrator of his large staff and department.�
5.He must, of course, be a good surgeon.
6.He must be co-operative.�
7.He must have high ideals, social standing, and agreeable wife.
おわりに
私たちは、外科のプロフェッショナルである。『優れた外科医となるために』、しっかり勉強して、365日しっかり患者さんを診る。結局、医者に休みはないんだ。そのことに矛盾を感じなくなれば、きっと良い医療ができる。
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